青森ねぶた 『源 頼朝の旗揚げ』 作 北村 隆
平安時代末期、源義朝の三男として生まれ、父 義朝が平治の乱で敗れると伊豆へ流される。 34才まで韮山を中心にして、伊東祐親の娘との恋愛、天城の巻狩、箱根、伊豆山、三島での信仰生活など、すこぶる自由な生活を過ごした。 これは比企一族をはじめとする源氏ゆかりの人々や素朴な伊豆の人たちによる温かい後援があってのことである。 北条政子との結婚後、治承4年(1180)以仁王の令旨をうけて、8月17日、三嶋大社の祭日に平家討伐の火ぶたをきったという。(掲示板より)
尚、頼朝配流の地は
こちらです。
青森ねぶた 『富士の誉』 作 北村 隆
建久4年(1193) 5月28日、源頼朝が富士の巻狩りを行った。 巻狩りには曽我五郎と十郎が仇とねらう、工藤祐経も参加していた。 兄弟は祐経の寝所に押し入り、酒に酔って寝ていた祐経を起こして討ち果たす。 騒ぎをききつけて集まってきた中、ふりそでをかぶり、女装した五所五郎丸によって取り押えられる。 曽我兄弟の仇打ちは 「日本三大仇打ち」 といわれ、「富士の誉」 とたたえられている。(掲示板より)
ちなみに、あとの日本三大仇討ちとは、赤穂浪士の討ち入り(1703)、渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った 「伊賀越えの仇打ち」(1634) をいう。
青森ねぶた 『美盾八競(みたてはっけい) 晴嵐(せいらん) 宮本武蔵』 作 北村 隆
宮本武蔵は佐々木岸流(小次郎)に養父を殺され、仇討ちのため諸国へ武者修行に出た。 或る日、白倉伝五衛門の屋敷に泊まることになった。 白倉は実は岸流の伯父で密かに武蔵の命を狙うが剣術では敵わない。
そこで、武蔵が風呂に入ったときに熱湯を注いで殺そうとする。 白倉の娘、糸萩は父の企てを知り武蔵に危難を告げる。 武蔵は大いに怒り、風呂の柱を抜いて荒れ狂い、柱を水車のごとく振り回し、白倉の家のものを打ち負かしたと言う。 宮本武蔵は人並みはずれた強力の持ち主で、片手で刀剣を使いこなすことができた。 これが後の二刀流の技術を生み出すに至った。(掲示板より)
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写真 時之栖冬のイルミネーション2012―2013、今年のテーマは 「サプライズパーティー」、青森のねぶた師、名人 北村隆氏の作品が展示されています。 「頼朝の旗揚げ」「富士の誉」の新作と、今年の夏、青森を熱狂させた力作 「三盾 晴嵐、宮本武蔵」 が加わり、イルミネーションとの異色のコラボレーションが実現しました。 富士山の麓で青森のねぶたが見れるのに感動です。
尚、2007年に撮影しました 「青森のねぶた祭り」 を
こちらに展示しています。