質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
九州・大分の旅 その17 湯布院散策(7) 美術館めぐり
美術館-1
金鱗湖のほとりにある美術館、「マルク・シャガールゆふいん金鱗湖美術館」。
美術館-2美術館-3
美術館-4
館内には巨匠マルクシャガールの “サーカス” シリーズ38点と大作 「バラ色の花束」 が展示されています。 階下にはカフェも併設しています。
美術館-5
樹木に囲まれた閑静な場所にある美術館、「ドルドーニュ美術館」。
美術館-6
石彫家の末田龍介、造形作家の栞夫妻の個人美術館、「末田美術館」。
美術館-7
「由布院ステンドグラス美術館」 外観のレンガから、調度品にいたるまで、厳選された英国直輸入のアンティークで装飾されています。 また、ヨーロッパの1800年代からのアンティークステンドグラスを展示した日本で初めての本格的なステンドグラス美術館です。 ステンドグラス体験もできます。
美術館-8
建物は、「由布院ステンドグラス美術館」 と 「聖ロバート教会」 の二棟から構成。
美術館-9
観光辻馬車の背景にある 「ノーマン・ロックウェル湯布院美術館」。
美術館-10
「サタデ―・イブニング・ポスト」 の表紙などで知られ、アメリカの国民的イラストレ―タ―、「ノーマン・ロックウェル」 の作品を集めた国内でも珍しい美術館です。
夢広場-1
「ゆふいん夢広場」 は、湯布院観光の中心部分に位置する金鱗湖や湯布院民芸村に隣接した和風観光施設・触れ合いの場として誕生しました。 
夢広場-2
宿泊、お食事処や旅の疲れを癒してくれる 「足湯」 などもあります。
水車のある風景
水車が回る湯布院の長閑(のどか)な風景。
JR由布院駅
約3時間の湯布院散策と撮影を終え、再びJR由布院駅に帰ってきました。
JUGEMテーマ:写真

 湯布院は九州を代表する観光地、約3時間の散策でしたが、メインストリート全長約1kmの湯の坪街道、自然の息吹を感じる金鱗湖の風景、それともう一つの楽しみは 「美術館めぐり」 です。 
 また、湯布院と言えば温泉地としてつとに有名です。 さまざまな全国ランキングでも常に上位にランクされる湯布院。 一度は宿泊した温泉地です。
 九州・大分の旅 1日目(2012・10・28)は午前中 小京都・日田、午後は湯布院散策と撮影を終え、再びJR九大本線に乗り大分駅へ向かいます。 次回より 「別府」 を写真展示しますので見て下さい。
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その16 湯布院散策(6) 佛山寺
湯布院の風景-1
湯布院の風景-2
金鱗湖周辺の紅葉がきれいです。(2012・10・28撮影)
湯布院の風景-3
湖の周辺には旅館や土産屋さん、美術館などがあります。
湯布院の風景-4
趣のある風景も楽しめます。
佛山寺-1
金鱗湖の南側にある禅寺。 龍莪山 佛山寺(ぶっさんじ)山門。
佛山寺-2
重厚な茅葺きの山門、見応えがあります。 楼上は鐘楼になっています。
佛山寺-3
 龍峩山 佛山寺
 今より約一千年前の一条天皇の御代、性空上人、九州巡錫中、霧島神社に参籠するに御神宣あって、その御つげにより由布岳の山腹に至りて誦経したれば、具一切功徳慈眼視衆生(観音経の一説)と鳴動する岩あり。 その岩にて観音像を刻して祀ったのが始めと伝えられる。
 以来、全盛時には由布院内に十数ヶ寺の末寺を有する由布の霊場の本拠地とされてきたが慶長元年(西暦一五九六年)の大地震により打撃を被ったため麓の地(現在の地)に伽藍を移し、新たに臨済宗妙心寺派(禅宗)の寺として再出発した。
 性空上人の刻した由布霊山観音菩薩は今も観音堂に安置され、秘佛として三十三年に一度ご開扉される。 毎年七月十八には嶽まつり、毎月十七日には観音講が修されている。 又、毎週、坐禅会、写経も行われている。
佛山寺-4
佛山寺-5
本堂 平成6年(1994)の火災で全焼、再建されました。
観光辻馬車-1
観光辻馬車-2
佛山寺は観光辻馬車のコースになっています。 山門前でUターンし宇奈岐日女神社→JR由布院駅へ向かいます。 コース所要約50分です。
JUGEMテーマ:写真

 佛山寺(別称;仏山寺)は、平安時代(990年頃)、性空上人によって開かれました。 本尊は由布岳に祀ってあった石造観世音菩薩で、古くは、由布岳への信仰者を集めた山岳信仰拠点だったそうです。
 佛山寺は観光辻馬車のコースでもあります。 山門を撮影している時、偶然その優雅な姿をカメラに収めることができました。 白馬の名前はユキちゃん12歳。 年間3000km、1万人以上を乗せる人気の観光スポットです。
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その15 湯布院散策(5) 美しい 「金鱗湖」
金鱗湖-1
龍が棲んでいたという伝説が残る 「金鱗湖」 に到着。
金鱗湖-2
JR由布院駅から約1.5kmのところにあり、湯布院のシンボルでもあります。
金鱗湖-3
白い建物、小さな鳥居、水の色、湖畔に泳ぐカモ、絵になる光景です。
金鱗湖-4
周囲約400m、水深は約2m 対岸の色付き始めた紅葉がきれいです。
金鱗湖-5
 金鱗湖について
 1.金鱗湖(きんりんこ)名の由来 
 昔は湖と言わず池と言い、由布岳(1584m)の下(もと)にある池という意味から、由布岳の 「由布」 を省略し、更に 「岳(たけ)の下(もと)」 を 「岳(たけ)ん下(した)」 と発音して 「岳ん下ん池」 と称した。 明治17年大分の儒学者、毛利空桑(もうりくうそう)が池のそばの露天風呂(茅葺き屋根)の岳ん下ん湯、通称 「下(した)ん湯」 から湖面を眺めていると魚が飛び跳ね、鱗(うろこ)がおりしもの夕日に映えて金色に輝く様を見て 「金鱗湖」 と名づけられる。
 2.金鱗湖の概要
 やや長方形をして長辺約100m、短辺約70m湖底は緩やかな 「すり鉢」 状になって居り、最深部は、湖の山の手側にあって約2mである。 水の流入は下ん湯の横、ハエ川の温水(30度以上)と天祖(てんそ)神社境内の湧水、それに湖底深部にある湧水の供給から成り立っており、1日約23,300㎥が流出して大分川の源流となっている。 生息する魚は、鯉、鮒、ハヤ、うなぎ、ナマズ、テラピア(豊後鯛)、グッピー、すっぽん亀、石亀等です。
 3.由布盆地の朝霧
 朝霧は、秋から冬にかけ、晴れて冷え込みのきつい風がない朝、由布盆地を霧の海に沈めてしまう。 この現象を狭霧(さぎり)台(野々草台上)や蛇越(じゃこ)し峠(川西地区)からの眺望は、まさに天下一品である。 朝霧発生の主因は金鱗湖から流れ出る川の水蒸気であると言われている。
金鱗湖-6
この川は 遥かなゆふいんの歴史を伝えながら あらゆる生物の 「いのち」 を育み 流れ続けている尊い水です 大事にしましょう
金鱗湖-7
金鱗湖に流れ込む川付近で、ゆったりと泳ぐ魚の群れ。
金鱗湖-8
金鱗湖-9
カモたちも水遊びを楽しんでいます。
金鱗湖-10
正面の建物は、「ペンション金鱗湖 豊の国」、その右側の鳥居と祠は 「天祖神社」。
金鱗湖-11
対岸の紅葉をアップで撮影。
金鱗湖-12
鏡面のように湖面に映る光景に魅了されます。
金鱗湖-13
湖面に映る対岸の光景と白い雲がきれいです。
JUGEMテーマ:写真

 湯布院のシンボルである金鱗湖、大分川の源流となっています。 湖底から温泉と清流が湧き出ており、その温度差のため冬季には湖面から霧が立ち上がる幻想的な光景が見られます。 周囲約400m の小ぢんまりとした湖ですが、生息する魚たち、カモの戯れ、湖畔の木々など 自然の息吹を感じます。
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:37 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その14 湯布院散策(4) 湯の坪街道
湯の坪街道-1
レンガ造りの煙突がシンボルの 「大分産和牛のくし焼き屋」。
湯の坪街道-2
入口のフクロウが可愛い 「クラフト館蜂の巣」。
湯の坪街道-3
犬グッズ専門店 「ゆふいんの犬屋敷」。
湯の坪街道-4
湯の坪街道-5
店頭に並ぶ 「ブリキ猫」 がユニークで可愛い、心和む作品です。
鵜の坪街道-6
湯布院の町になじむ人力車。
湯の坪街道-7
1F がガラスの森、2F がオルゴールの森。 女性に人気のスポットです。
湯の坪街道-8
蜂蜜のかかったソフトクリームが美味と評判の 「はちみつの森」。
湯の坪街道-9
湯の坪街道-10
 1F は 「湯布院昭和館」・・・館内には捨てられようとしていた昭和の遺産を収集し当時の店や学校・家を展示、昭和の町並みを再現しています。
 2F は 「湯布院夢美術館」・・・山下画伯が戦中、戦後の16年間全国各地を放浪中描き残した原画(貼絵、水墨画など)100点及び記録写真25点が展示されています。
美しい紅葉
一際、美しい紅葉の先に 「金鱗湖(きんりんこ)」 が見えてきました。
JUGEMテーマ:写真

 湯布院散策は、JR由布院駅から徒歩で駅前通り→由布見通り→「白滝橋」を渡り、湯の坪街道へ。 途中湯の坪横丁を回り、再び湯の坪街道を金鱗湖へ向かって進んできました。 撮影しながらの金鱗湖までの所要時間は約1時間です。
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その13 湯布院散策(3) 湯の坪横丁
湯の坪街道
大勢の観光客で賑わう湯布院 「湯の坪街道」。
湯の坪横丁-1
「由布院やすらぎ湯の坪横丁入口」 の石碑。
湯の坪横丁-2
「湯の坪横丁」 案内板。
湯の坪横丁-3
横丁入口にある和菓子の老舗 「由布院 花麹菊家(はなこうじきくや)」。
湯の坪横丁-4
伝統の技が生きた高級盛上がり 「ほつま高蒔絵」 シールの店 「青砥屋(あおとや)」。
湯の坪横丁-5
散策路に設けられた癒しの風景。
湯の坪横丁-6
この時期、横丁の一角に紅葉が色付いています。(2012・10・28撮影)
湯の坪横丁-7
伝統保存食の店 「鉄鍋火屋(てつかや)」。
湯の坪横丁-8
手造り工房 「かりんとう館」、隣は手づくり食彩がいろいろの 「夢民(ゆめたみ)」。
湯の坪横丁-9
きれいに整備された横丁です。
湯の坪横丁-10
泳いでいる魚は、神の魚【ガラ・ルファ】 おもにトルコ共和国の中央部にあるカンガル地方の温泉に生息するコイ科の淡水魚。37℃の温水でも元気に泳ぐ特殊な魚です。
湯の坪横丁-11
フィッシュセラピーのお店 「フィシュスパ湯布院」。
JUGEMテーマ:写真

 JR由布院駅から金鱗湖方面に向かう途中の湯布院のメインストリート 「湯の坪街道」。 街道中央付近に十数軒が軒を並べる 「由布院やすらぎ湯の坪横丁」 があります。 個性的な店が並ぶ横丁、癒しや買物が楽しめる一画です。
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(2) | - |
九州・大分の旅 その12 湯布院散策(2) 湯の坪街道
由布院駅-1
JR久大本線 由布院駅正面。 大分県由布市湯布院町川北8-2
由布院駅-2
駅舎に掲示されている駅名。 「由布院」「湯布院」でなく平仮名で書かれています。
由布院駅-3
横から見た駅舎。 平成2年(1990)竣工。 設計は大分県出身の建築家磯崎新氏。
由布院駅-4
駅の真正面に 「由布岳」 を望むことができます。 標高1584mで、東峰と西峰の二つのピークを持つ独立峰。 豊後富士の愛称で親しまれ、九州一の美峰です。
湯布院の風景-1
駅舎に向かって左側の樹木に、この時期(2012・10・28撮影)紅葉が見れます。
湯布院の風景-2
駅前通りを走る英国式クラシックカー 「ゆふいん観光スカーボロ」。 一日5便、定員9名で当日予約。 由布岳の絶景ポイント、津江の中道を走ります。
湯布院の風景-3
撮影日が休日とあって、たくさんの人で賑わう湯布院の目抜き通り 「湯の坪街道」。
湯布院の風景-4
湯の坪街道を 「ゆふいん観光人力車」 がゆったりと進みます。 ちなみに料金は一区間(約1km)御一人様2000円、御二人様3000円から、優雅な旅が楽しめます。
湯布院の風景-5
街道の中ほどにある行列ができる店、金賞コロッケ 2号店。 「全国コロッケコンクール」 で金賞を受賞したコロッケ屋さん。 サクサク、トローリの食感がヤミツキに!
湯布院の風景-6
レトロな看板が素敵な 「醬油屋本店」。 200種以上の調味料や惣菜を販売。 醸造元のもろみで漬けた自家製の漬け物が豊富です。
湯布院の風景-7
色とりどりの傘の花、湯布院は被写体が豊富です。
つわぶき
街道の石垣に咲く秋の花 「つわぶき」 がきれいです。 漢字で書くと 「石蕗」。 葉が蕗(ふき)に似ている。 名前は “つや” のある葉から “つやぶき” それが変化して “つわぶき” となった。 花言葉は 「秘めた想い」 「困難に傷つけられない」。
JUGEMテーマ:写真

 由布院駅から金鱗湖(きんりんこ)方面に向かう途中にある湯布院のメインストリート 「湯の坪街道」、観光客であふれています。 地元名産の土産店から雑貨屋やギャラリー、カフェまで、個性的な店が軒を連ねるこの通りは女性の人気スポットです。 
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その11 湯布院散策(1) のどかな風景
のどかな風景-1
のどかな風景-2
JR久大本線沿線の、のどかな風景を撮影しながら由布院へ。 久大本線は、福岡県久留米市の久留米駅から大分県大分市の大分駅に至る全長141.5kmの九州横断路線。 「ゆふ高原線」 の愛称で親しまれています。
のどかな風景-3
のどかな風景-4
久大本線沿線の田んぼに白い物体! これは 「ロールベールサイレージ」 と呼ばれ、ロールの中身は牛が食べる牧草です。 昔は牧草を保存するサイロという円筒形の建物の中に貯めていましたが、コストがかさむことから、現在はロールベールサイレージに変わっています。
のどかな風景-5
清らかな川の流れを眼下に眺めながら、のどかな旅は続きます。
豊後中村駅
日本一の九重 “夢” 大吊橋の玄関口 「豊後(ぶんご)中村駅」。 特急 「ゆふ」 が停車します。 古くから木造駅舎がありましたが、平成22年(2010)に茅葺き屋根の新駅舎に建て替えられました。
のどかな風景-6
のどかな風景-7
幾何学的模様がきれいな風景です。
由布院駅-1
ゆふ高原線 由布院駅に到着。
由布院駅-2
由布院駅ホーム 真っ赤な電車がよく似合います。
JUGEMテーマ:写真

 「由布院」 と 「湯布院」 はどちらが正しいのか? どちらも間違いではありません。 湯布院は昭和30年に由布院町と湯平町が合併して誕生した地名です。 厳密にいうと、湯平町を含む場合は湯布院、含まない場合は由布院となります。 時が流れるにつれ、湯布院と由布院をきっちり分けて考える地元住民も少なくなり、又、観光に訪れる人も、駅は 「由布院」、観光地は 「湯布院」 の感覚でとらえているようです。(HPゆふいん観光より) 
 当ブログもそれに従って、駅は 「由布院」、観光地は 「湯布院」 と表記します。
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その10 小京都・日田(10) 咸宜園(2) 素朴な佇まい
咸宜園-1
園内にある 「咸宜園教育研究センター」。
咸宜園-2
近世最大の私塾 「咸宜園」 を開いた淡窓肖像。 世界文化遺産の登録を目指す。
咸宜園-3
教育研究センターから見る 「秋風庵」 と 「遠思楼」。
咸宜園-4
素朴な佇まいの 「遠思楼」。 階下は書庫、階上は淡窓の書斎。
咸宜園-5
二階の書斎に上がれます、丸窓からの眺望。
咸宜園-6
 遠思楼(えんしろう)
 史跡咸宜園跡の一角に建つこの二階家は、嘉永2年(1849)廣瀬淡窓が68歳のときに書斎として建てられ、遠思楼と名づけられた。
 淡窓はこの楼を好んで使い、階下は書庫とし眺望のよい階上では読書や思索のほか門弟や知人たちと詩会を催し、月や雪をめでて小宴や談話を楽しんだりした。
 明治維新以降塾の衰退によって、明治7年(1874)には中城川畔に移され、多少の改修を加え民家として使われていた時期もある。
 昭和29年(1954)には、淡窓忌百年祭の記念事業として淡窓の居宅である 「秋風庵」 の裏に還された。 老朽化に伴ない、文化庁の補助を受けて保存修理工事が行なわれ、平成13年、往時の場所に素朴なたたずまいが復原された。 淡窓の漢詩集 「遠思楼詩鈔」 は、この建物に由来しこの楼の名を世にしらしめている。
咸宜園-7
淡窓の居宅 「秋風庵」。 淡窓は安政3年(1856)ここで没しました。
咸宜園-8
重厚な萱葺きが美しい 「秋風庵」 の玄関。
咸宜園-9
一階台所。
咸宜園-10
咸宜園-11
二階の部屋。
咸宜園-12
一階の部屋では、撮影当日も講話が開催中でした。
JR日田駅
小京都・日田の撮影を終え、再びJR日田駅へ帰ってきました。
JUGEMテーマ:写真

 日田は、文禄3年(1594)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)を支配する代官が置かれ、以来大名による支配もありましたが、それ以外は明治時代まで徳川幕府の天領となった地です。 今回の撮影の旅ではJR日田駅の北西、碁盤の目のような町筋 「豆田町」 や咸宜園を撮影しました。 天領の面影を残す古い町並みは絶好の被写体です。
 小京都・日田の撮影を終え、次の撮影地 「由布院」 へ向かいます。 由布院はJR日田駅から久大線(ゆふ高原線)に乗り、特急で約1時間のところにあります。
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その9 小京都・日田(9) 咸宜園(1) 現存する遺構
咸宜園-1
日田市淡窓2丁目にある 「史跡咸宜園跡」。
咸宜園-2
東塾 絵図は塾生の話しをもとに描いたもの【大正2年(1913年)】 画師 長岡永邨
咸宜園-3
西塾
咸宜園-4
 史跡 咸宜園跡(かんぎえんあと)
 ここは、幕末の儒者廣瀬淡窓(1782年〜1856年)の私塾咸宜園のあとである。 淡窓は、文化2年(1805)24才の時、豆田町の長福寺を借りて開塾したが、2年後に桂林荘(けいりんそう)を中城川の側に建ててそこに移った。 その後、文化14年桂林荘をこの地に移し、新に咸宜園と名づけた、以来、旭荘、青頓、林外等に承けつがれ、明治30年までの90年間に、全国から集まって来た約4,800人の子弟を教授した所である。 当時は、道を挟んだ西側に考槃楼(こうはんろう)などの西塾があり、東側の東塾には、この秋風庵(しゅうふうあん)の外、心遠処(しんえんしょ)、遠思楼(えんしろう)、講堂などが建ち並んでいた。 遺構としては、秋風庵と遠思楼及び西塾の車井戸のみが残っている。 秋風庵は、淡窓の伯父月化(俳人)が天明元年(1781)に建築したもので、東西八間半、南北三間半、東南に二階を持つ草葺の建物である。 淡窓は安政3年(1856)ここで没した。 現在でも秋風庵のまわりは、その頃の形態をとどめており往時をしのぶことが出来、学術上の遺跡として重要な文化財である。
     昭和7年7月22日国の史跡に指定されている。
咸宜園-5
史跡咸宜園跡入口
咸宜園-6
 国史跡 咸宜園跡 日田市淡窓2丁目
 江戸時代後期には日本全国で教育熱が高まり、各地で藩校や郷校(ごうこう)といった学校のほか、個人による私塾が多く開設された。 豊後日田の儒学者・廣瀬淡窓(1782ー1856)は豆田町の豪商廣瀬家の長男として生まれたが、生来病弱のため家督を弟・久兵衛に譲り、自らは学問教授の道に進んだ。 文化2年(1805)長福寺学寮を借りて開塾、その後 「成章舎」 「桂林園」 を経て、文化14年(1817)淡窓36歳のときに、自ら幼いころに養育され、俳人として著名な伯父月化の居宅・秋風庵の隣に塾を構え、「咸宜園」 と呼んだ。 咸宜園の 「咸宜」 とは  『詩経』  からとった言葉で、「ことごとくよろしい」 という意味である。
 入門時に身分・年齢・学歴を問わない 「三奪法;さんだつほう」、学力に基づき等級別に評価した「月旦評;げったんひょう」、門下生に塾の運営に関わる役割を与えて社会性を身につけさせる 「職任制;しょくにんせい」 などの独自の教育手法が評判となり、全国から多くの門下生が集まった。 現在も4,600名を超える 「入門簿」 が残されており、著名な人物に、大村益次郎、長三洲、上野彦馬、清浦奎吾、横田国臣(くにおみ)らがいる。 このほかに淡窓の日記などに名前が記された門下生を加えると、咸宜園で学んだ者は5,000名を超える。 門下生の多くは咸宜園で学んだ後に、藩校の教授となったほか、自ら私塾を開いた。 あるいは、明治学制発布後に学校の教師となり、近代教育の発展に貢献した。 咸宜園は淡窓没後も弟や義子、門下生に引継がれ、明治30年(1897)に閉塾するが、江戸時代の私塾としては最大の規模を有していた。
 咸宜園の建物は、門下生が増え、塾の規模が拡大するに従って増加した。 発掘調査の成果や残された絵図等から、門下生の学びと生活の場や、塾主の居宅・書斎を含めた多くの建物が確認された。 道を挟んだ東側に講堂・東塾・秋風庵・遠思楼など、西側には考槃楼・西塾・南塾などがあったが、明治以降、次第に失われていった。 その後、咸宜園蔵書を保管するための書蔵庫や淡窓図書館が敷地内に建設され、現在は東側に秋風庵・遠思楼・書蔵庫(移築後修理)・井戸屋形・外便所が残り、西側に井戸が現存している。
咸宜園-7
史跡咸宜園跡案内図 青字が現存する歴史的建造物。
咸宜園-8
咸宜園絵図
咸宜園-9
初桜之句碑(廣瀬月化の句碑) 「末世とは 何で言うたぞ 初桜(半津作久楽)」
咸宜園-10
現存する歴史的建造物 書蔵庫(移築後修理)
咸宜園-11
遠思楼(えんしろう)
咸宜園-12
秋風庵(しゅうふうあん)
咸宜園-13
井戸屋形
JUGEMテーマ:写真

 JR日田駅の北西1kmほどの場所にある廣瀬淡窓が文化14年(1817)に開いた私塾 「咸宜園跡」 があります。 萱葺きの 「秋風庵」 は淡窓のかっての住居で、90年に及ぶこの塾の歴史を解説した資料などが展示されています。 国指定の史跡。
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その8 小京都・日田(8) 豆田町(7) 廣瀬資料館
ひな御殿
天領 『雛(ひな)御殿』。 歴史あるお雛さまを種類豊富に展示。 江戸時代(享保、天保)の雛人形など三千体以上を公開しています。
天領日田げた
製造直売の 「天領日田げた」 が店頭に並ぶお土産屋さん。
廣瀬資料館-1
幕府の御用商人だった廣瀬家の蔵を改築した資料館 「廣瀬資料館」。
廣瀬資料館-2
豊後の三賢人の一人である廣瀬淡窓の生家。
廣瀬資料館-3
蔵を利用した廣瀬資料館 「一号館」。 内部は撮影禁止。
廣瀬資料館-4
一号館前に掲示されている案内板。
廣瀬資料館-5
廣瀬資料館-6
漆喰壁から往時が偲ばれます。
廣瀬資料館-7
 日田の先哲 廣瀬家の先哲 八人
 【廣瀬月化】(ひろせげっか)
 商家博多屋(廣瀬家)に生まれる。 江戸時代中期の俳人として著名。 月化の時代明和6年(1769)広瀬家は、江戸幕府から初めて諸藩御用達を命ぜられる。
 【廣瀬桃秋】(とうしゅう)
 月化の弟で俳人。 淡窓の父。 後に家業を継ぐ。
 【廣瀬淡窓】(たんそう)
 儒学者・教育者。 敬天思想を持ち教聖といわれる江戸後期九州山間の日田に、全国から三千有余人の塾生が集い、師弟共に相親しみ学んだ私塾 「咸宜園;かんぎえん」 を創設。 明治維新後の日本教育界に歴史的多大な影響を与えた。
 【廣瀬秋子】(ときこ)
 病気がちの兄淡窓の心からなる健康と大成を願うも若くして病死。 淡窓より孝悌烈女の名を贈られた。
 【廣瀬久兵衛】(きゅうべえ)
 経世家。 淡窓の次弟。 淡窓にかわり家業を継ぐとともに、西国筋郡代塩谷大四郎の信任を得て、日田小ヶ瀬井出の開鑿(かいさく)などとともに、府内藩や福岡藩等に出向き、新田開拓事業、治水、殖産工業、財政立て直しなどを行った。
 【廣瀬旭荘】(きょくそう)
 儒学者・詩人。 淡窓の末弟だが養子となり学問に専念。 若くして咸宜園を継いだ。
 【廣瀬青邨】(せいそん)
 儒学者。 幕末の動乱期に淡窓の養子となり咸宜園を継いだ。 又、幕府の長州征伐失敗後、大政奉還、王政復古、さらに慶応4年(明治元年)倒幕戦争の開始と歴史が大きく動く時、抗戦姿勢の西国筋郡代窪田次郎右衛門に対し天下の形勢を進言。 日田からの立ち退きを実現させた。
 【廣瀬林外】(りんがい)
 儒学者。 旭荘の長男だが淡窓の嗣子(しし)となり、明治初期の最も困難な動乱期、御一新の世に咸宜園を継ぎ、塾経営の立て直しを行った。
   この先哲八名は『廣瀬八賢』ともいわれている。   日田市教育委員会
廣瀬資料館-8
唯一撮影ができる資料館内部。
廣瀬資料館-9
部屋の入口に掲げられた書、廣瀬家の家訓 『心高身低』(志は高く、身は低く)。
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 幕府の公金を取り扱う掛屋を営んでいた日田の豪商・廣瀬家は、広瀬淡窓の生家。 資料館には往時の天秤計りや各藩に貸し付けた証文、茶道具などが展示されています。 また、廣瀬家家訓 「心高身低」 は、今を生きる人生の教訓としたいものです。 
| 九州・大分の旅(日田・湯布院) | 19:00 | comments(0) | - |
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