質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
大津・びわ湖島めぐりの旅 その22 三井寺(7) びわ湖眺望
観音堂-1
観音堂より石段を上って高台へ向かいます。
観音堂-2
高台から見る観音堂の全景です。
大津そろばん顕彰碑-1
高台には 「大津そろばん顕彰碑」 が建立されています。
大津そろばん顕彰碑-2
社団法人 全国珠算教育連盟による建立。
大津そろばん顕彰碑-3
「そろばんの玉」 を模った石碑。
大津そろばん顕彰碑-4
 碑文 大津はそろばんのふるさとです。
 江戸時代の初期、大津の片岡庄兵衛は中国風のそろばんを手本とし、苦心を重ね、玉の形・寸法・わく組みなどを改良し、すぐれたそろばんを作り上げました。
 その後、多くのそろばん師が生まれ、大量のそろばんを、全国へ広めました。これが有名な大津そろばんで、わが国の珠算が発達した大きな力となりました。
びわ湖眺望-1
顕彰碑がある高台から見る、びわ湖の眺望。 素晴らしい眺めです。
びわ湖眺望-2
眼下に観音堂、観月舞台が望めます。
びわ湖眺望-3
右側中央には、観音堂・絵馬堂 享和二年(1802)建立を見ることができます。
びわ湖眺望-4
絶好の行楽日和に恵まれた 「びわ湖眺望」 が撮影出来ました。
JUGEMテーマ:写真

 三井寺・観音堂から更に石段を上って高台へ。 ここに 「大津そろばん顕彰碑」 が建立されています。 大津がそろばんの古里とは今回初めて知りました。 また一つ勉強しました。 また、ここから眺望するびわ湖が素晴らしいです。 当寺にお越しの際は、参拝の締めくくりにここまで足を運ばれることお勧めします。

 なお、大津そろばんに関するHPがあります。 大津そろばん|走り井餅本家

 今回で大津名所めぐりは一旦終了し、次回より遊覧船による 「びわ湖島めぐり」 を写真展示します。 見て下さい。
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 19:00 | comments(0) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その21 三井寺(6) 観音堂
観音堂-1
これより西国十四番札所 「三井寺観音堂」 を参拝します。
観音堂-2
手水舎 明治十四年(1881)建立 大津市指定文化財
観音堂-3
西国十四番札所 観音堂 元禄二年(1689)再建 県指定文化財
観音堂-4
高所より観音堂・手水舎を撮影。
観音堂-5
観月舞台 嘉永三年(1849)建立 県指定文化財
観音堂-6
観音堂-7
百体観音堂 宝暦三年(1753)建立 県指定文化財
観音堂-8
鐘楼 文化十一年(1814)建立 県指定文化財
観音堂-9
観音堂-10
 県指定有形文化財 鐘楼(しょうろう)
 鐘楼は園城寺南院札所伽藍の一つで建立年代は棟札により文化十一年(1814)に上棟したことが知られる。
 正面三間、側面三間で袴腰付の立の高い本格的な鐘楼で屋根入母屋造り檜皮葺である。 組物は尾垂木を用いない三手先で、中備えは蟇股(かえるまた)または蓑束(みのずか)で飾る。 腰組も三手先とし、簀縁(すのこえん)に高欄(こうらん)を廻す。
 この鐘楼は総欅(けやき)造りでまとめ、正規の手法を用いた十九世紀はじめの鐘楼として見るところが多い。    園城寺
観音堂-11
石段を下ったところに 「地蔵堂」 があります。
観音堂-12
地蔵堂(中坂世継地蔵) 文政二年(1819)建立 市指定文化財
JUGEMテーマ:写真

 三井寺の奥まった境内にある「西国十四番札所 観音堂」、本尊は如意輪観音(重文・平安時代)で、三十三年ごとに開扉される秘仏です。 琵琶湖を眺望する境内には元禄二年(1689)再建の観音堂を中心に諸堂が並び札所伽藍を構成しています。(三井寺リーフレットより)
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 19:00 | comments(0) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その20 三井寺(5) 毘沙門堂
境内の風景-1
境内の風景-2
新緑が美しい三井寺の境内。
境内の風景-3
この時期、ツツジの花が咲いています。
孔雀
境内で飼われている 「孔雀」。 美しい羽を持つ雄と雌。
微妙寺
微妙寺(びみょうじ) 三井寺の五別所のひとつで現地に移築したもの。 本尊は十一面観音(重文・平安初期)で、現在は湖国十一面観音霊場の第一番札所となっている。
境内の風景-4
この緑の参道を進むと、毘沙門堂、観音堂へ行けます。
毘沙門堂-1
毘沙門堂入口。
毘沙門堂-2
参道途中にある石碑。 どなたの碑文か解読できません。
毘沙門堂-3
 重要文化財 建造物 園城寺毘沙門堂(おんじょうじ びしゃもんどう) 一棟
 毘沙門堂は、正面一間、側面二間、一重、宝形造、檜皮葺の小建築で、極彩色を施した唐様式の建造物です。 もとは、園城寺五別所の一つでありました尾蔵寺の境内南勝坊にあったもので、明治42年(1909)に山内に移され、昭和31年(1956)解体修理にともなって、保存管理の上から現在地に移されました。
 建立についてのはっきりした資料はみあたりませんが、寺蔵の 『元禄五寺社改帳』 によれば、南勝坊の造立が元和2年(1616)とされています。 組物・軒廻り・天井などの形式手法から、近世初頭の特徴をよく表しています。
 昭和27年(1952)3月に国の指定文化財となりました。
毘沙門堂-4
毘沙門堂-5
極彩色に荘厳された優美な建造物、毘沙門堂(重要文化財)。
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 三井寺を撮影したのが2011年5月7日、境内の新緑が美しい季節です。 広大な境内を散策しながら緑の風景を撮影しました。 微妙寺では、当日幸いにも特別御開扉日で重要文化財 「十一面観世音菩薩」 を参詣することができました。 撮影禁止で展示できないのが残念です。 また、極彩色で美しい毘沙門堂は絶好の被写体です。
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 19:30 | comments(0) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その19 三井寺(4) 一切経蔵
一切経蔵-1
重要文化財 園城寺一切経蔵(おんじょうじ いっさいきょうぞう)
一切経蔵-2
一切経蔵-3
 重要文化財 建造物 園城寺一切経蔵 一棟
 一切経蔵は、仏教のすべての経典、つまり一切経(大蔵経ともいう。)を納める施設のことで、この経蔵には版木の一切経が収められています。
 この経蔵は、桁行一間、梁間一間、一重、宝形造、檜皮葺の禅宗形式をもった建物ですが、裳階(もこし)を付けているため柱間が三間三間、屋根が二重に見えます。 内部には一切経を納めた八角形の輪蔵(回転書架)を据えています。 全体におだやかな感じをもち、禅宗様経蔵の古い例として貴重なもので、室町時代中期を降らぬ建物とされています。
 なお、この経蔵は、もと山口県の国清寺にあったものを毛利輝元によって慶長七年(1602)に移されたものといわれています。
 明治39年(1906)4月に国の重要文化財になりました。
一切経蔵-4
一切経蔵-5
 一切経蔵
慶長七年毛利輝元公が山口県の洞春寺より移築したもので、輪蔵に収められた一切経は高麗(こうらい)版として名高い。
建物は室町時代の作、重層宝形造りと称し唐様建築で上部は、「鏡天井」、四方は「明層」と云い、高い所から光りを取り入れる仕組である。
輪蔵は八角八柱造り、八方に千鳥破風を作り、龕内(がんない)に経論の守護である中国の人、傳大士を安置する。
三重塔-1
「一切経堂」 の隣に建立されている 「三重塔」。
三重塔-2
慶長六年(1601)、徳川家康により寄進された。 もとは奈良県・比蘇(曽)寺の塔で、室町初期の建築。
三重塔-3
 重要文化財 建造物 園城寺塔婆(三重塔) 一基
 この三重塔は、もと大和国(奈良県)の比曽寺(現在の世尊寺)にあった東塔を慶長六年(1601)に移したもので、大和地方における中世の塔の風格をもっており、鎌倉時代和様の様式を伝える南北朝時代頃の建築とされています。
 塔は、三間三重の塔婆の形式で、本瓦葺の屋根をもち、各重の落ちも大きく、初重目に縁をつけてます。また、二重目、三重目に菱格子を用いているのは珍しいものです。 明治39年4月に国の指定文化財になっています。
灌頂堂
灌頂堂(かんじょうどう)、寺流の密教を伝承する道場。
長日護摩堂-1
園城寺長日護摩堂(おんじょうじ ちょうにち ごまどう)
長日護摩堂-2
 滋賀県指定文化財 建造物 園城寺長日護摩堂
 この護摩堂は、桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺の小堂で、灌頂堂と渡廊下によってつながっています。 全体として簡素な建物で、正面は桟唐戸(さんからど)、両脇を連子窓(れんじまど)、両側面の正面よりを舞良戸(まいらど)、他は背面を含めて横羽目板壁としています。
 建立年代については、明確な資料はありませんが、寺伝によると後水尾(ごみずのお)天皇(1611〜1629)の祈願により建てられたものといわれています。大師堂、灌頂堂よりは少し遅れて建てられたものと考えられています。
 昭和35年(1960)1月に滋賀県の有形文化財になりました。
大師堂
灌頂堂・長日護摩堂の奥に 「大師堂」 があります。 慶長三年(1598)の再建で、国宝・智証大師像二躯、重文・黄不動尊立像が祀られています。
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 まさに、園城寺[三井寺]は文化財の宝庫です。 貴重な高麗版の一切経を納めた八角輪蔵のある一切経蔵。 三重塔・灌頂堂・長日護摩堂・大師堂の一帯を唐院(重要文化財)といい、当寺の開祖・智証大師円珍和尚(814〜891)の廟所として最も神聖な場所です。 唐院の名は智証大師が入唐求法の旅で持ち帰った経典類を納めたことに由来します。
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 20:20 | comments(0) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その18 三井寺(3) 三井の晩鐘
三井の晩鐘-1
重要文化財 園城寺鐘楼(おんじょうじ しゅろう)。
三井の晩鐘-2
 重要文化財 園城寺 鐘楼
 「三井の晩鐘(みいのばんしょう)」 で有名な梵鐘のかけられている鐘楼で桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、桧皮葺の建物です。
 建築年代は、梵鐘の 「慶長七歳云々」 とある刻銘文や、建築様式などから桃山時代と認められ、金堂再建に近い頃に建造されたものと考えられています。破風(はふ)の縣魚(げぎょ)などにその時代の特色がでています。
 また、一般の鐘楼のように四本柱、或いは袴腰付きのものではなく、やや異った様式を持っています。 昭和四十二年六月に国の指定文化財になっています。
三井の晩鐘-3
三井の晩鐘-4
三井の晩鐘-5
近江八景 三井の晩鐘
霊鐘堂-1
「弁慶の引摺り鐘」 が納められている 「霊鐘堂」。
霊鐘堂-2
重要文化財 「弁慶の引摺り鐘」
霊鐘堂-3
 重要文化財 霊鐘・弁慶の引摺り鐘 奈良時代 八世紀 銅鋳造
 重量 600貫(2,250kg) 総高 199cm 口径 123.2cm
 世に 「弁慶の引摺り鐘」 として名高い大鐘。
 伝説によると、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が、三上山の大ムカデを退治した功により、琵琶湖の龍神からもらい受けた鐘を三井寺に寄進したものと伝えられています。
 その昔、三井寺が比叡山と争ったとき、比叡の荒法師・武蔵坊弁慶が三井寺に攻め入り、この鐘を奪って比叡山まで引摺り上げて撞(つ)いてみると、「イノー、イノー」(帰りたい)と響いたので、「そんなに三井寺へ帰りたいのか」 と谷底へ投げ落としたといいます。 その時のものと思われる引摺った疵痕やヒビがいまも残されています。

     さざ浪や 三井の古寺 鐘はあれど
              むかしにかへる 音はきこへず  三井寺法印定円

 その後、この鐘は、三井寺に凶事が迫ったときには、前兆として鐘の表面に汗をかき、撞いても音を出さなかったといわれ、三井寺を鎮護する 「霊鐘」 として大切に伝えられてきました。
霊鐘堂-4
 『近江名所図会』(1814年刊)より
 「山門の衆徒、三井寺の鐘を奪ひ、無働(動)寺谷に擲(な)げ落とす」
霊鐘堂-5
「引摺り鐘」 の横に置かれている大鍋、「弁慶の汁鍋」。
霊鐘堂-6
霊鐘堂に並ぶ 「弁慶の引摺り鐘」 と 「弁慶の汁鍋」。
JUGEMテーマ:写真

 園城寺 [三井寺] の境内、金堂の前方に近江八景の一つ 「三井の晩鐘」 があります。 宇治の平等院、高尾の神護寺と共に日本三名鐘に数えられ、荘厳な音色は有名で、 「日本に残したい音風景百選」 にも選ばれています。 また閼伽井屋の脇を少し上がったところに、世に名高い 「弁慶の引摺り鐘」 が置かれている霊鐘堂があります。 いずれも貴重な国の重要文化財を撮影することができました。

 【ミニ知識】 近江八景(おうみ はっけい)・・・・広辞苑より
 琵琶湖の南部にある8勝景。 中国の瀟湘(しょうしょう)八景に擬して定めた。
 比良の暮雪、矢橋(やばせ)の帰帆、石山の秋月、瀬田の夕照、三井(みい)の晩鐘、堅田の落雁、粟津の晴嵐、唐崎の夜雨。
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 19:47 | comments(0) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その17 三井寺(2) 国宝・金堂と閼伽井屋
国宝 金堂-1
園城寺(三井寺)の中心をなす建造物、国宝・金堂(こんどう)。
芭蕉の句碑
 金堂の前庭に建立されている、榊莫山揮毫による芭蕉の句碑。
 「三井寺の 門たたかばや けふの月」 元禄三年芭蕉 と刻まれています。
国宝 金堂-2
 国宝 建造物 園城寺金堂(おんじょうじ こんどう) 一棟
 この金堂は桁行七間、梁間七間一重入母屋造檜皮葺の大建築で落ちついた美しい建物です。園城寺の中心をなす金堂は、幾多の変遷を経ましたが、現在の建物は慶長四年(1599)に豊臣秀吉の夫人北政所によって建てられたものです。桃山時代の特色が向拝の手挟(てばさみ)や蟇股(かえるまた)などにみられるほか、内外陣を格子戸や扉で仕切り、外陣・後陣・脇陣を板敷(床張り)に、内陣を土間にするなど天台密教寺院における仏堂の特色をよくあらわしています。
 また、内陣に安置されている厨子も様式からみて同時代の作とされています。
 桃山時代の代表的なすぐれた建造物で、昭和28年3月に国宝に指定されました。
閼伽井屋-1
女性が覗き込む檜皮葺の建物は、重要文化財 建造物 「園城寺閼伽井屋」 です。
閼伽井屋-2
重要文化財 閼伽井屋(あかいや)、慶長五年建立。
閼伽井屋-3
 重要文化財 閼伽井屋
 天智、天武、持統三帝御降誕の時、この井水を取って産湯とし玉体を祝浴された、よって 「御井」 と云ふ。 茲に園城寺が建てられて俗に 「三井寺」 と云われた。 後、智証大師三部灌項の閼伽に用いてから 「御井」 を 「三井」 に改め寺号となる。 往昔、御所の御車寄を賜り閼伽井屋として建てられて後、慶長三年豊公、北政所、之を再興修理せられた。 正面上部には名匠左甚五郎作の龍の彫刻があり、夜な夜な琵琶湖に出てあばれるので目玉に五寸釘が打たれている。 屋根は大唐破風で金堂の素木に対して極彩色を施してある。
閼伽井屋-4
閼伽井屋の内部、湧泉が石組の間から湧きでています。
閼伽井屋-5
 重要文化財 建造物 園城寺閼伽井屋 一棟
 閼伽井とは、仏前に供養する水を汲む井のことで、閼伽井屋はその覆屋(おおいや)として建てられたものです。
 建物は、桁行三間、梁間二間、向唐破風造、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、慶長五年(1600)に金堂に引き続いて再建されました。金堂の西側、軒下に接して建つ閼伽井屋は向唐破風の型式や附属する彫刻、蟇股(かえるまた)などが美しく、桃山時代の特色をもっています。 内部には、天智・天武・持統の三天皇の産水となり、三井寺の名の起こりとなった湧泉(ゆうせん)が石組の間から湧き出ています。 明治三九年(1906)四月に国の重要文化財になりました。
閼伽井屋-6
左甚五郎作の龍の彫刻。
閼伽井屋-7
左甚五郎作の龍の彫刻は、この上です。 むかし、この龍が夜な夜なびわ湖に出て暴れるため、甚五郎自ら眼玉に釘を打ち込み静めたと伝えられる。
JUGEMテーマ:写真

 三井寺の中心となる建造物、国宝の金堂。 正面約23m、側面約23mもある堂々たる造りで、入母屋造り檜皮葺の屋根が美しく広がる、桃山時代の代表的な和様建築です。 荘厳な雰囲気が漂う堂内には本尊・弥勒菩薩像が安置されています。
 また、三井寺で見逃してならないのが、寺の名の由来にもなった霊泉「閼伽井屋」です。 金堂の西側、軒下に接して建つ小振りの建造物です。
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 21:29 | comments(2) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その16 三井寺(1) 仁王門
三井寺-1
園城寺(おんじょうじ)、通称・三井寺(みいでら)の広大な境内案内図。
三井寺-2
天台寺門宗 総本山 園城寺 総門。
三井寺-3
仁王門の前に建つ、正式名称  「園城寺」 が刻まれた石碑。
三井寺-4
三井寺-5
「仁王門」 の両脇に伽藍守護の神として、安置された一対の金剛力士像。
三井寺-6
園城寺 [三井寺] の仁王門(重要文化財)。 宝徳4年(1452)の建立。 浄城への表門として慶長6年(1601)、徳川家康により甲賀の常楽寺より移築、寄進されたもの。
JUGEMテーマ:写真

 大津名所めぐりで最後に参拝したのは、園城寺(通称;三井寺)です。 三井寺は天台寺門宗の総本山で、古くから日本四箇大寺の一つに数えられています。
 その歴史をひもとくと、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より 「園城(おんじょう)」 の勅額を賜り、「長等山 園城寺」 と称したのにはじまります。
 俗に 「三井寺」 と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」 と呼ばれていたものを、後に智証大師が、当寺の厳儀・三部灌頂の法水に用いられたことに由来します。
 長い歴史の上で、当寺は再三の兵火にあい焼失しましたが、豊臣氏や徳川氏の尽力で再興され、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。
                                 (三井寺リーフレットより)
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 19:00 | comments(0) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その15 びわ湖湖畔の風景
湖畔の風景-1
びわ湖湖畔の風景。 釣り糸を垂らす人を多く見かけます。
湖畔の風景-2
気になる建造物。 滋賀県立琵琶湖文化館(現在休館中)
湖畔の風景-3
屋上には大きなトンボが設置されています。
湖畔の風景-4
湖畔に建つ 「常夜燈」。
湖畔の風景-5
湖畔にひっそりと立つ石碑。
湖畔の風景-6
「明智左馬之助湖水渡」 と刻まれています。
湖畔の風景-7
 明智左馬之助湖水渡りのところ
 天正十年(1582)六月二日、明智光秀は主君織田信長を本能寺に攻めて自害させ、天下を奪ったが、山崎の合戦で秀吉に敗れ、その野望は消え失せた。
 光秀の弟馬之助光春は、信長の居城安土城を攻めていたが、兄の死を聞いて急ぎ坂本城へ引き返す途中打出浜より路を湖水に求め愛馬にまたがりびわ湖を渡り坂本に帰った。 しかし時すでに遅く秀吉の軍勢に囲まれ、六月十四日、光秀の妻女らとともに、城と命運をともにした。
 湖水渡りの勇姿は、今も講談などで語りつがれている。
湖畔の風景-8
このモダンな建造物は 「びわ湖ホール」。 国内有数の4画面を備えた大ホール、演劇向きの中ホール、アットホームな小ホールを持つ。 最新の設備と優れた音響、臨場感を追求した湖畔の芸術劇場。 オペラ、バレエ、ミュージカル、クラシック、演劇など、多彩な感動のステージが届けられています。
湖畔の風景-9
自然の風景と対話する外観、「琵琶湖ホテル」。 一度は宿泊したいホテルです。
JUGEMテーマ:写真

 読者の皆様、新年 あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。
 昨年より引き続き 「大津・びわ湖島めぐりの旅」 の後半より写真展示します。 日本一の湖、風光明媚なびわ湖湖畔を散策しながら撮影してきました。 湖畔に建つロダンな建物 「びわ湖ホール」、美しい景観の 「琵琶湖ホテル」、いずれも外観のみの撮影です。 機会があれば豪華な内部を撮影したいものです。 
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 19:15 | comments(0) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その14 びわ湖湖畔に立つ 「御製碑」
びわ湖湖畔-1
遊覧船が行き交うびわ湖。
びわ湖湖畔-2
のどかな風景のびわ湖湖畔。
びわ湖湖畔-3
びわ湖湖畔は、市民の憩いの場所、散歩道。 右側の石碑は、湖畔に立つ御製碑。
びわ湖湖畔に立つ御製
 御製 古き湖(うみ)に 育まれきし 種々(くさぐさ)の
                       魚安らかに 住み継ぐを願ふ

 平成19年(2007)11月11日、びわ湖ホールおよびホール前湖岸において、「この湖(うみ)を 守る約束 未来のために」 をテーマに、第27回全国豊かな海づくり大会〜びわ湖大会〜が開催されました。 この御製(ぎょせい)は、大会に御臨席になった天皇陛下が詠まれたものです。 御製碑の揮毫は、第256世天台座主 半田孝淳 大僧正によるものです。 御製碑に使用した自然石は、大津市北比良地先の比良山系から産出した御影石です。(裏面の説明文より)
JUGEMテーマ:写真

 激動の2011年も今日と明日の二日となりました。 3月11日に発生した 「東日本大震災と東電福島第1原発事故」、それによる東電が初の計画停電実施。 秋には野田内閣誕生。 欧州危機が深刻化し急激な円高で日本の輸出産業は苦境に追い込まれました。 震災で悲しみに包まれていた国民に喜びと勇気をもたらしたのは、サッカーの女子ワールドカップで 「なでしこジャパン」 が世界一となり日本中を沸かせてくれました。 まさに激動の一年であり、絆の大切を体感した年でした。 来年、2012年は平穏で幸せを感じる一年になるよう願っています。

 今年のブログ更新は今日で終わりです。 この一年たくさんのアクセスありがとうございました。 2012年は1月4日より 「大津・びわ湖島めぐりの旅」 の後半から写真を展示しますので見て下さい。 では読者の皆様、良いお年をお迎え下さい。
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 19:00 | comments(0) | - |
大津・びわ湖島めぐりの旅 その13 琵琶湖疏水
京阪電車-1
京阪電車-2
今回の旅で利用した、京阪電車の可愛い車両です。
琵琶湖疏水-1
三井寺見学のため、京阪・三井寺駅下車。すぐそばを琵琶湖疏水が流れています。
琵琶湖疏水-2
 琵琶湖疏水(びわこそすい)
 琵琶湖疏水は、大津市三保が関で取水し、三井寺の山下を通り、京都市蹴上(けあげ)へと流れる人口の水路です。 延長約9km。 京都市の飲料水、発電、物資輸送、農業用水など多目的利用のために立案されました。
 第1疏水は明治18年(1885)、青年技師田邉朔郎(たなべさくろう)の指導のもとに着工、同23年に開通。第2疏水は明治45年(1912)に完成。 工事が国家的レベルの事業であったことを示すように、隧道(ずいどう)の各洞門には伊藤博文を始めとする著名人が揮毫(きごう)した扁額(へんがく)が掲げられています。
 桜シーズンに見られる水と桜による美しい風景が評判です。
      写真は、往年の琵琶湖疏水の曳船  大津まちなか元気回復委員会
琵琶湖疏水-3
疏水沿いの道、三井寺へ向かいます。
琵琶湖疏水-4
琵琶湖疏水-5
琵琶湖疏水大津閘門(こうもん)入口。 閘門とは、運河・放水路などにおいて水面を一定にするための水量調節用の堰(せき)。
琵琶湖疏水-6
大津閘門出口。
琵琶湖疏水-7
現在地の表示板。 京阪・三井寺駅下車、疏水沿いの道を散策しながら三井寺へ。
琵琶湖疏水-8
琵琶湖疏水、桜シーズンには美しい風景が見れます。
琵琶湖疏水-9
 「扁額でたどる琵琶湖疏水」 の掲示版。 次のような事項が書かれています。
第1トンネル入口部の扁額
 文  字:氣象萬千(きしょうばんせん)
 揮毫者:伊藤博文(いとう ひろふみ)
 意   味:様々に変化する風光はすばらしい
 参  考:扁額の上部には、“SAKURO TANABE DR ENG ENGINEER IN CHIEF WORK COMMENCED AUGUST 1885 COMPLETED APRIL 1890 ” (主任技師の田邉朔郎工学博士によって、1885年8月〜1890年4月の工事で完成したものである。)の文字が刻まれています。

 琵琶湖疏水は、明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興を目指して、明治18(1885)年に建設を始め、明治23(1890)年に第一疏水※が完成しました。 疏水の水は、水車動力、舟運、灌漑、防火などに使われ、さらに日本初の事業用水力発電に用いられました。 生み出された電力によって、工業が発達し、日本初の電気鉄道が走るなど、京都はにぎやかさを取り戻していきました。 琵琶湖の豊かな水を引いたことは、京都の発展をもたらしたのです。
 多くの恵みを京都にもたらした琵琶湖疏水は、今も水道や発電などの水として、市民の生活を支える源となっています。
  ※建設当初3つのトンネルがあり、各出入口には明治の元勲(げんくん)が文字を書いた扁額(へんがく:門戸等に掲げる横に長い額)が掲げられています。
琵琶湖疏水-10
琵琶湖疏水第1トンネル入口。
琵琶湖疏水-11
琵琶湖疏水-12
第1トンネルに掲げられている、伊藤博文の揮毫による扁額 「氣象萬千」。その上部には風化して見づらいですが、SAKURO TANABE・・・・の文字が刻まれています。
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 近江神宮の参拝と撮影を終え、再び京阪電車で三井寺駅下車、三井寺へ徒歩約10分。 道すがら琵琶湖疏水を撮影しました。 琵琶湖疏水の存在は知っていましたが、これほど国家の大事業とは記憶していませんでした。 先人の偉業を再認識しました。 機会があれば琵琶湖疏水を辿って京都まで撮影したいものです。 

 【ミニ知識】 疏水(そすい)・・・広辞苑より
 /紊鯲すこと。
 ⌒漑・給水・舟運または発電のために、新たに土地を切り開いて水路を設け、通水させること。 また、そのもの。 多くは湖沼・河川から開溝して水を引き、地形によってはトンネルを設けることもある。 琵琶湖疏水が有名。
| 大津・びわ湖島めぐり(前編) | 20:22 | comments(2) | - |
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