質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
九州・福岡・水郷柳川の旅 その7(完) 柳川街中散策
柳川街中散策-1
沖端水天宮
柳川街中散策-2
柳川市立矢留小学校、北原白秋の母校です。
柳川街中散策-3
小学校の外壁に掲示されている写真。 昭和16年3月白秋先生矢留小学校訪問。
柳川街中散策-4
小学校の横に建っている 「二宮金次郎(尊徳)」 の像。
柳川街中散策-5
天満宮横の 「お手洗い場」。
柳川街中散策-6
 このお手洗い場の創建は今より580余年前応永時代、平家の落人六騎の方々が天照皇大神を御祭神として当時辛苦を共にして大新宮を御造営した時に出来たお手洗い場・・・・ 両側の板張りに脱衣して川の清水にて身を清め大祭日には上下を着て早朝に大神宮に参拝したお手洗い場であります。 ・・・・修復して現在保存されている貴重な史跡です。(掲示版より)
柳川街中散策-7柳川街中散策-8
新鮮な魚が評判の鮮魚店を見学。
柳川街中散策-9
立派な橋 「沖の端橋」、橋のたもとには 「うなぎ屋」 があります。
柳川街中散策-10
元祖うなぎ 若松屋 柳河藩学問の祖 安東省庵先生 生家の庭石 拝領の庭
柳川を散策すると 「うなぎ屋」 の看板が目につきます。 柳川の 「うなぎのせいろ蒸し」 は絶品だそうです。 今回、時間の関係で食べれませんでした。 心残りです。
柳川街中散策-11
街中で見かけた 「ムツゴロウ」 の看板?
柳川街中散策-12
散策の途中、見晴しの良いこの場所で一休みができます。
JUGEMテーマ:写真

 7回にわたって写真展示しました 「九州・福岡・水郷柳川の旅」 今回で終了です。 柳川にお越しの際は、柳川の川下りを楽しみ、国指定の名勝 「御花・松濤園」 を眺め、詩聖北原白秋を偲び、そして美味しい 「うなぎのせいろ蒸し」 を食べれば至福の一日が過ごせます。 お勧めの大人の旅です。(完)
| 水郷 柳川の旅 | 19:30 | comments(2) | - |
九州・福岡・水郷柳川の旅 その6 旧戸島家住宅(県指定文化財)
旧戸島家-1
 立花藩勘定方吉田舎人兼儔(よしだとねりかねとし)が、寛政年間(1789〜1810年)に建てた、萱葺入母屋平屋(かやぶきいりもやひらや)の茶室と、それに付随した庭園。 のちに藩主に献上され、藩主の茶室として利用されてきたもので、建物は4畳半の座敷、3畳の畳廊下、3畳の茶室の3間からなり、座敷の南と東は二重の障子で仕切られて畳の廊下をめぐらし、その外側が廻り縁になり、縁は南東の隅柱を除いて景趣(けいしゃ)をそそるように配慮されています。
 また庭園は320屐∨抒笋凌紊魄き入れた築山山水(つきやまさんすい)で、瓢形(ひさごがた)の池を中心にして、風雅な趣を見せています。 この庭園は水流を主眼とし、山水の妙をあしらった座観式茶室庭園であり、かつ、まとまりのある古風な庭園です。(掲示板より引用)
旧戸島家-2
城下町柳川の武家住宅 福岡県指定有形文化財 「旧戸島家住宅」
旧戸島家-3
旧戸島家住宅の入口。
旧戸島家-4
数寄屋風の意匠を持つ萱葺屋根の建物が見えてきました。
旧戸島家-5
住宅の受付、観覧料100円を払って見学します。
旧戸島家-6
歴史を感じる佇まいです。
旧戸島家-7
仏間東面、扉には漢詩、張謂の「湖中對酒作」 が彫られています。
旧戸島家-8
廻り縁の造りがきれいです。
旧戸島家-9
築山山水の古風な庭園がきれいです。
旧戸島家-10
見どころの一つに杉戸絵があります。 座敷南縁西杉戸絵、中秋に似合う秋の草、すすき、萩などが描かれています。
旧戸島家-11
杉戸絵、桜に鳩としじゅうからが描かれています。 季節は春です。
旧戸島家-12
なかのま西面の戸には、李白の漢詩 「獨酌」 が彫られています。
旧戸島家-13
住宅の東側からみた景観です。
旧戸島家-14
茶室の東面、三日月の竹下地窓が見れます。
JUGEMテーマ:写真

 城内地区の西端、鬼童町の一角に、旧柳川藩士の隠宅として建てられた数寄屋風の意匠を持つ萱葺屋根の建物が、堀割から水を引き入れた池を持つ、国の名勝庭園と併せて趣のある空間を形成しています。 内部には、江戸後期の流行を反映して随所に文人趣味の意匠がみられます。

 柳川藩で中老職に就いていた吉田兼儔隠居後の住処として庭園と共に建築した萱葺二階建の建物で、後に藩主の立花家に献上されたといわれています。 維新の頃に藩兵の調練所として徴発された宅地の代償として立花家から由布氏に下賜され、明治15年(1882)頃に由布氏の転居に伴い戸島氏の所有となったようです。
 その後主に住宅として使用されましたが、柳川地方の武家住宅の典型例として、昭和32年(1957)に建物と庭園がそれぞれ福岡県の文化財に指定されました。 昭和53年(1978)には、庭園が国の名勝に」指定されています。
 平成13年(2001)に柳川市に建物が寄贈され、平成13年度から平成15年度まで3ヵ年をかけて解体修理を行い、平成16年(2004)4月に一般公開を始めました。
                               (旧戸島家住宅リーフレットより) 
| 水郷 柳川の旅 | 19:15 | comments(0) | - |
九州・福岡・水郷柳川の旅 その5 北原白秋詩碑苑
白秋詩碑苑-1
北原白秋詩碑、『帰去来;ききょらい』。 この詩碑は、この地方に建てられた文学碑の中で最も早く、白秋6回忌の昭和23年11月2日に除幕されました。
白秋詩碑苑-2

     山門(やまと)は我が産土(うぶすな)、
     雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、
     飛ばまし、今一度(いまひとたび)。

     筑紫よ、かく呼ばへば
     恋(こ)ほしよ潮の落差、
     火照沁む夕日の潟。

     盲(し)ふるに、早やもこの眼、
     見ざらむ、また葦(あし)かび、
     籠飼(ろうげ)や水かげろふ。

     帰らなむ、いざ鵲(かささぎ)
     かの空や櫨(はじ)のたむろ、
     待つらむぞ今一度。

     故郷やそのかの子ら、
     皆老いて遠きに、
     何ぞ寄る童ごころ。

 白秋は20歳の時、父親に黙って上京。 昭和3年(43歳)、白秋は飛行機で故郷柳川を訪れています。 「帰去来」は、その時の郷土飛行を思い浮かべて昭和16年、最後の帰省の際につくられました。 死の前年(56歳)です。 創作活動が多忙をきわめ無理がたたってか、 晩年の白秋はほとんど視力を失っていました。
北原白秋柳川訪問の写真
昭和16年3月 白秋先生矢留小学校訪問時の写真
白秋詩碑苑-3
白秋詩碑苑には 「帰去来」 の解説も掲示されています。
白秋詩碑苑-4
福岡県柳川市矢留本町にある、「白秋詩碑苑」 入口。
白秋詩碑苑-5
苑内にあるもう一つの 「白秋の石碑」。

  水郷柳河こそは、我が生れの里である。
  この水の柳河こそは、我が詩歌の母体である。
  この水の構図、この地相にして、はじめて我が体は生じ、我が風は成った。
                               「水の構図より」 白秋 
白秋詩碑苑-6
園内にある石碑。
白秋詩碑苑-7
白秋詩碑苑-8
園内に掲示されています。
白秋詩碑苑-9
北原白秋没後60年記念樹、「ネムノキ」 が植えられています。
JUGEMテーマ:写真

 今回、小・中学時代の同窓会が柳川で開催されるのに伴い、見学と撮影したいところが二個所ありました。 柳川の川下りと北原白秋に関する名所旧跡です。 念願かなって県指定文化財の「白秋生家」、「白秋詩碑苑」 を撮影することができました。

 白秋の詩 「帰去来」 は、名称は知っていましたが、その文章・内容は今一つ理解していませんでした。 今回、柳川の詩碑の前で文章と解説を目にし、白秋が晩年故郷柳川に対する熱い思いを歌い上げた詩に感動しました。
| 水郷 柳川の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
九州・福岡・水郷柳川の旅 その4 北原白秋生家
白秋生家-1
白秋生家-2
福岡県柳川市沖端町にあります 「北原白秋生家記念館」 です。
白秋生家-3
父の代に酒造業 「北原酒造」 を営む。 酒銘は「潮;うしお」。
白秋生家-4
北原白秋の肖像。
白秋生家-5白秋生家-6
白秋生家-7
生家の部屋に上がって見学することができます。
白秋生家-8
土間にある流しや井戸。
白秋生家-9
番頭食事場
歴史民俗資料館-1
北原家の広大な旧跡地に建設された 「柳川市立歴史民俗資料館」 です。 昭和60年1月25日に迎えた詩聖北原白秋生誕百年の記念事業として建設されたものです。
歴史民俗資料館-2
館内には柳川の民族や北原白秋の全体像がわかりやすく展示されています。
JUGEMテーマ:写真

 詩人・北原白秋先生の生家は、明治維新(1867)前後の建物だろうといわれています。 明治34年の大火で大半を焼失して、わずかに残った母屋も荒廃していましたが、先生の偉大な詩業を讃仰(さんごう;ほめたたえてあおぐこと)すべく昭和44年11月、これを復元して一般に公開されることになりました。(柳川市立歴史民俗資料館リーフレットより引用) 

 【ミニ知識】 北原白秋(きたはら はくしゅう)(1885〜1942)・・・広辞苑より
 明治末期〜昭和期の詩人・歌人。 名は隆吉。 福岡県柳川生れ。 早大中退。 与謝野寛夫妻の門に出入、「明星」 「スバル」 に作品を載せ、のち短歌雑誌 「多磨」 を主宰。 象徴的あるいは印象的手法で、新鮮な感覚情緒をのべ、また多くの童謡を作った。 詩集 「邪宗門」 「思ひ出」、歌集 「桐の花」、童謡集 「トンボの眼玉」 など。
| 水郷 柳川の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
九州・福岡・水郷 柳川の旅 その3 御花・松濤園(2)
御花-1
柳川藩五代藩主・立花貞淑の別邸 御花の西洋館内部
御花-2
御花-3
時代を感じる調度品を見ることができます。
御花-4
天井の造りが立派です。
御花-5
 御役間(おやくま) 御役間は入母屋造、2階建ての建物で、明治42年に完成しました。 当初は家政局をはじめ、家徒詰所、御膳所、御茶の間、御台所などが設けられ、立花伯爵家住宅におけるバックヤード的な機能を果たしていたと思われます。 その後の改装により、間取りなどに大幅な変更が加えられているものの骨組みの大部分は当初のまま維持されています。 旧大名家の家政局の建物が現存する例は、全国的に見ても非常に珍しい貴重な遺例といえます(掲示版より)
御花-6
御花-7
 大廣間(おおひろま) 大廣間は立花家の御客間として明治41年に完成しました。 18畳、18畳、12畳、の3室から構成され、部屋の南北に約1間の畳廊下が設けられています。 創建当初は東西の両側に床の間が設けられていましたが、現在では西側の床の間は舞台に改装されています。 伝統的な書院造を基本にしながらも、ガラス障子や洋風の照明器具など随所に近代技術を取り入れた和洋折衷の建物です。 二の間、三の間の畳を上げると敷き舞台となり、能の上演が楽しめます(掲示版より)
御花-8
御花-9
 金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと) 桃山時代〜江戸時代初期
桃形兜とは、頭部が桃の実をかたどっていることからつけられた名称で、戦国時代には多く用いられた形式の兜である。 立花家には400頭以上もの同様の桃形兜が伝わっており、中には文禄・慶長の役に使用されたと伝えるものもある。(掲示版より)
御花-10
大廣間から見る 「御花・松濤園(しょうとうえん)」
御花-11
松濤園は日本三景の一つ松島を模して造られたもので、国指定の名勝になっており、冬には野鴨の群れが浮かぶ絶景となります。
JUGEMテーマ:写真

 元文三年(1738)、柳川藩五代藩主・立花貞淑(さだよし)は、政務の疲れを癒し、家族と和やかな時を過ごすための場所としてこの地に別邸を設けました。 大廣間から見る庭園 「松濤園」 は、小松島を見る思いです。 冬に訪れる野鴨の群れを撮影したいものです。 柳川にお越しの際は必見の名勝地です。
| 水郷 柳川の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
九州・福岡・水郷 柳川の旅 その2 御花・松濤園(1)
柳川-1
柳川、堀割に影を映す 「出逢い橋」 を渡って 「御花・松濤園(しょうとうえん)」 へ 
柳川-2
きれいな花畑
柳川-3
柳川-4
明治42年から43年に迎賓館として建てられた「西洋館」
柳川-5
お花の全景(航空写真)
柳川-6
これより館内見学。 展示されている柳川城天守閣 (縮尺;1/60)
柳川-7
明治初期に撮影された柳川城の写真です。 城の写真で現存するのはこの一枚だけです。 撮影後、柳川城は明治4年に焼失し、本丸跡に記念碑が立てられています。(現在の柳川高校とその隣の柳城中学校が本丸跡です。)(説明文より引用)
柳川-8
柳川-9
柳川-10
中庭にそびえる巨木 「楠;くすのき」、樹齢;800〜900年 回り;4.9m
柳川-11
西洋館の前庭には 「蘇鉄」 が植えられています。
JUGEMテーマ:写真

 「柳川」 と 「立花家」。
 豊臣秀吉の九州平定の際、豊後大友氏の先陣として活躍した立花宗茂(むねしげ)は、その功により、筑後13万石の城主として柳川を城地と定めました。 その後、関ヶ原の戦いで秀吉への恩義から西軍に味方した宗茂は、柳川を追われることになります。 かわって入部した田中吉政(よしまさ)によって、柳川城の建設や城下町、堀割の整備が進められました。 しかし、徳川家の信頼を得た宗茂は、20年後の1620年、世継の途絶えた田中氏にかわって再び柳川藩主として奇跡的に復活をとげたのです。 以後柳川は、明治維新時の十二代藩主鑑寛(あきとも)まで、柳川藩の城下町として栄えました。

 「御花」 の由来。
 元文三年(1738)、柳川藩五代藩主、立花貞淑(さだよし)は、政務の疲れを癒し、家族と和やかな時を過ごすための場所としてこの地に別邸を設けました。 当時この辺りは 「御花畑」 といわれていたことから柳川の人々は親しみを込めて 「御花」 と呼ぶようになりました。
 明治時代になると立花伯爵家の邸宅となり十四代当主寛治(ともはる)は明治42〜43年にかけて迎賓館としての西洋館と、それにつづく和館の大広間という当時流行の形式の邸宅を整えました。(柳川 御花 リーフレットより引用)
 
 「福岡県の歴史」 に 「田中吉政」 について次のような記述があります。
 筑後方面は毛利秀包(ひでかね)・立花宗茂・筑紫広門の諸大名がいずれも西軍に属したので、すべて改易となり、関ヶ原の戦いで三成をとらえた功績によって田中吉政が三河国岡崎より入部した。 かれは小早川秀秋の領した筑後二郡も加えた筑後国一円で32万5千石の大筑後藩主となった。 土木工事の経験が豊富なかれは立花宗茂の柳川城を修築・整備し、五層の天守閣をつくり、堀割をめぐらした大城郭にしてこれに入り、久留米篠山城および福島城には次・三男を配置して藩領全域の支配体制を固めた。・・・・・・・
| 水郷 柳川の旅 | 20:00 | comments(2) | - |
九州・福岡・水郷 柳川の旅 その1 川下り
柳川-1
福岡県柳川市弥四郎町にあります、「柳川温泉 かんぽの宿 柳川」。 筆者、中学時代の同窓会の会場です。 気が置けない同級生の集い、楽しい一時を過ごしました。
柳川-2
かんぽの宿 柳川の直ぐ前に堀割があり、川下りの水路になっています。
柳川-3
堀割に架かる 「出逢い橋」、橋を渡ると 「御花・松濤園(しょうとうえん)」 へ行けます。
柳川-4
「出逢い橋」 の橋上でしばらく待つて、川下りの “どんこ船” を撮影。 カメラに向かって手を振ってくれました。 皆さん!楽しそうです。
柳川-5
川下り “どんこ船” の素朴なのりばです。
柳川-6
ちよっと首を傾けて橋の下をくぐります。
柳川-7
船頭のハッピに「柳川」の文字、川辺になまこ壁、情緒あふれる風景が絵になります。
柳川-8
柳川-9
左手に 「沖端水天宮」 が見える風景です。
柳川-10
しだれ柳がきれいな川下り水路の風景です。
柳川-11
宿への帰り道、偶然 「出逢い橋」 に晴れ姿のお二人を発見!
柳川-12
おめでとう!の声掛けに、にこやかに振り向いてくれたお二人。 可愛いお嫁さんです。 改めましてご結婚おめでとうございます。 末永くお幸せに!
柳川-13
のどかな川下りの水路が続きます。 川下り所要時間は約1時間10分です。
柳川-14
水路の水辺にコスモスの花が咲いています。
JUGEMテーマ:写真

 時期がずれてしまいましたが、昨年(2010)の10月26日・27日、中学時代の同窓会が福岡県柳川市の 「かんぽの宿 柳川」で開催されました。  その時に撮影しました水郷・柳川を写真展示します。 その後、4日間長崎を旅してきましたので 「長崎の旅」 と題して写真展示します。 見て下さい。

 水郷・柳川を縦横に流れる堀割は慶長5年(1600)、築後33万石の城主となった田中吉政(たなかよしまさ)が、城の周囲を厳重に囲んだ堀割の名残です。 その風情をを楽しむのが川下りです。 ハッピ姿の船頭の軽妙な語りと唄を聞きながら、巧みな竿さばきによって堀割をゆらゆらと進んでいきます。
 城内の町並みが静かな落ち着きを見せる内堀。 しだれ柳の緑と白いなまこ壁が水面に影を落とす風景は、陸の上からとはまた違った表情があり、ちょっと首を傾けて水門や橋の下をくぐるのも楽しいものです。 今回は時間の関係で、川下りはできませんでしたが、一度は体験したい水郷・柳川の川下りです。
| 水郷 柳川の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
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