2011.02.03 Thursday
古都奈良の旅 名所めぐり その23 唐招提寺(2)
唐招提寺・金堂(国宝)
唐招提寺・講堂(国宝) 奈良時代(8世紀後半) 入母屋造・本瓦葺 講堂は、鑑真和上が当寺を開創するにあたり平城宮東朝集殿を朝廷より賜り移築したもので、平城宮唯一の宮殿建築の遺構です。 本尊弥勒如来坐像(鎌倉時代 木造 重要文化財)は釈迦牟尼仏の後継で、将来必ず如来として出現し法を説くとされます。 そのため通常は菩薩像ですが、本像は如来像として表現され、金堂の三尊と合わせて顕教四仏となる古式で配列されています。 持国・増長の二天(奈良時代 重要文化財)も講堂内部に共に配されます。
鐘楼(手前)と講堂
宝蔵(ほうぞう・国宝) 校倉(あぜくら)様式の建物。
経蔵(きょうぞう・国宝) 唐招提寺が創建されるより前にあった新田部(にたべ)親王邸の米倉を改造したものといわれ、日本最古の校倉です。
礼堂(らいどう)・東室(ひがしむろ) 重要文化財 南北に長い建物で、従来は僧侶の起居した僧坊でした。 講堂を中心に西と北にもそれぞれ建物があり、三面僧坊と呼ばれていましたが礼堂・東室のみが現存しています。
鼓楼(ころう・国宝) 鎌倉時代 仁治元年(1240) 楼造・入母屋造・本瓦葺
瀟洒(しょうしゃ;すっきりとしてあかぬけしたさま)な重層の建物で、本来は経楼とみられますが、鎌倉時代に再建されたのち鼓楼と呼称されたようです。 一階に和上将来の三千粒の仏舎利を安置しているところから 「舎利殿」 とも称されます。
正面にある建物は 「本願殿」 です。 脇の道を進むと御影堂へ行けます。
本願殿の手前にある松尾芭蕉の句碑です。
「若葉して御目の雫拭ばや」 俳人松尾芭蕉が元禄元年(1688)陰暦4月8日に当堂に詣で鑑真和上坐像を拝しての句。 瞑目の和上像から誘われる涙と思慕の情を、暗く重いものではなく、さわやかに詠んだ句と言われています。
JUGEMテーマ:写真
鑑真大和上と唐招提寺
鑑真和上は688年に中国揚州で誕生、14歳の時、揚州の大雲寺で出家されました。21歳で長安実際寺の戒壇(かいだん;僧尼に戒律を授けるために設ける壇)で弘景律師に授戒を受けたのち、揚州大明寺で広く戒律を講義し、長安・洛陽に並ぶ者のない律匠と称えられました。 742年に日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意されましたが、当時の航海は極めて難しいもので、鑑真和上は五度の失敗を重ね盲目の身となられました。 しかし和上の意思は堅く、753年12月、六度目の航海で遂に来朝(らいちょう;外国人が日本に来ること)を果たされました。
翌年和上は東大寺大仏殿の前に戒壇を築き、聖武太上天皇をはじめ四百余人の僧俗に戒を授けました。これが日本初の正式授戒です。 鑑真和上は東大寺で五年を過ごされたのち、758年大和上の称号を賜りました。 あわせて右京五条二坊の地、新田部親王の旧宅地を賜り、天平宝字3年(759)8月戒律の専修道場を創建されました。 これが現在の律宗総本山唐招提寺のはじまりです。(写真の説明及び本文は唐招提寺リーフレットより引用させてもらいました)