質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
古都奈良の旅 名所めぐり その23 唐招提寺(2)
唐招提寺-1
唐招提寺・金堂(国宝)
唐招提寺-2
唐招提寺・講堂(国宝) 奈良時代(8世紀後半) 入母屋造・本瓦葺 講堂は、鑑真和上が当寺を開創するにあたり平城宮東朝集殿を朝廷より賜り移築したもので、平城宮唯一の宮殿建築の遺構です。 本尊弥勒如来坐像(鎌倉時代 木造 重要文化財)は釈迦牟尼仏の後継で、将来必ず如来として出現し法を説くとされます。 そのため通常は菩薩像ですが、本像は如来像として表現され、金堂の三尊と合わせて顕教四仏となる古式で配列されています。 持国・増長の二天(奈良時代  重要文化財)も講堂内部に共に配されます。
唐招提寺-3
鐘楼(手前)と講堂
唐招提寺-4
宝蔵(ほうぞう・国宝) 校倉(あぜくら)様式の建物。
唐招提寺-5
経蔵(きょうぞう・国宝) 唐招提寺が創建されるより前にあった新田部(にたべ)親王邸の米倉を改造したものといわれ、日本最古の校倉です。
唐招提寺-6
礼堂(らいどう)・東室(ひがしむろ) 重要文化財 南北に長い建物で、従来は僧侶の起居した僧坊でした。 講堂を中心に西と北にもそれぞれ建物があり、三面僧坊と呼ばれていましたが礼堂・東室のみが現存しています。
唐招提寺-7
唐招提寺-8
鼓楼(ころう・国宝) 鎌倉時代 仁治元年(1240) 楼造・入母屋造・本瓦葺
瀟洒(しょうしゃ;すっきりとしてあかぬけしたさま)な重層の建物で、本来は経楼とみられますが、鎌倉時代に再建されたのち鼓楼と呼称されたようです。 一階に和上将来の三千粒の仏舎利を安置しているところから 「舎利殿」 とも称されます。
唐招提寺-9
正面にある建物は 「本願殿」 です。 脇の道を進むと御影堂へ行けます。
唐招提寺-10
本願殿の手前にある松尾芭蕉の句碑です。
唐招提寺-11
「若葉して御目の雫拭ばや」 俳人松尾芭蕉が元禄元年(1688)陰暦4月8日に当堂に詣で鑑真和上坐像を拝しての句。 瞑目の和上像から誘われる涙と思慕の情を、暗く重いものではなく、さわやかに詠んだ句と言われています。
JUGEMテーマ:写真

 鑑真大和上と唐招提寺
 鑑真和上は688年に中国揚州で誕生、14歳の時、揚州の大雲寺で出家されました。21歳で長安実際寺の戒壇(かいだん;僧尼に戒律を授けるために設ける壇)で弘景律師に授戒を受けたのち、揚州大明寺で広く戒律を講義し、長安・洛陽に並ぶ者のない律匠と称えられました。 742年に日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意されましたが、当時の航海は極めて難しいもので、鑑真和上は五度の失敗を重ね盲目の身となられました。 しかし和上の意思は堅く、753年12月、六度目の航海で遂に来朝(らいちょう;外国人が日本に来ること)を果たされました。
 翌年和上は東大寺大仏殿の前に戒壇を築き、聖武太上天皇をはじめ四百余人の僧俗に戒を授けました。これが日本初の正式授戒です。 鑑真和上は東大寺で五年を過ごされたのち、758年大和上の称号を賜りました。 あわせて右京五条二坊の地、新田部親王の旧宅地を賜り、天平宝字3年(759)8月戒律の専修道場を創建されました。 これが現在の律宗総本山唐招提寺のはじまりです。(写真の説明及び本文は唐招提寺リーフレットより引用させてもらいました)
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 20:01 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その22 唐招提寺(1)
唐招提寺-1
唐招提寺 「南大門」、これより唐招提寺(とうしょうだいじ)を参拝します。 唐招提寺は、天平宝字3年(759)8月、唐僧鑑真(かんじん)和上によって創建された寺です。
唐招提寺-2
 唐招提寺 静かな寺、澄みきった寺―それが唐招提寺である。 堂々として雄偉な立たずまいながら、磨き上げられた神経の香ぐわしさがにじみ込んでいる。 しかも天平から貞観時代へと、8〜9世紀の日本文化が歩んでいった美術史の本街道に位いして、もろもろのすぐれた芸術品を遺し、さながら儼たる古典美の殿堂である はるかに滄波をしのいで 「天平の要請」 に応じた鑑真大和上の大きい足音を今も新しく聞くような古刹 奈良市五条町 もとの平城右京五条二坊の地、律宗総本山 古くは建初律寺ともいった けだし本邦最初の律院の謂である。
唐招提寺-3
世界遺産の石碑、古都奈良の文化財 「唐招提寺」
唐招提寺-4
参道脇の森で見られる、美しい苔の絨毯です。
唐招提寺-5
南大門を入り参道の玉砂利を踏み進むと、荘厳な 「金堂」 が見えてきます。
唐招提寺-6
国宝 唐招提寺・金堂 奈良時代(8世紀後半) 寄棟造・本瓦葺
JUGEMテーマ:写真

 国宝 「金堂」 について、唐招提寺のリーフレットには、次のように記載されています。
 南大門を入り参道の玉砂利を踏み締めて進むと、誰もが眼前に迫る金堂の偉容に圧倒されます。 豊かな量感と簡素な美しさを兼ね備えた天平様式、正面に並ぶ八本のエンタシス列柱の吹き放ちは、遠くギリシャの神殿建築技法がシルクロードを越え、日本まで伝来したかのように感じさせます。会津八一は 「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思え」 と詠み、井上靖は和上の生涯を 『天平の甍』 と題した小説を書き、その名を世に広めました。 内陣には像高三メートルに及ぶ盧舎那仏(るしゃなぶつ)を中央に巨大な三尊[乾漆造(かんしつづくり) 国宝] が居並び、厳粛な空間を生み出しています。 本尊・盧舎那仏坐像(大仏)は宇宙の中心、釈迦の本地仏として中尊に、その東方に現世の苦悩を救済する薬師如来立像、西方に理想の未来へ導く十一面千手観音菩薩立像が配されています。 本尊の脇士には等身の梵天・帝釈天立像 [木造 国宝] が従い、須弥壇(しゅみだん)四隅には四天王立像 [木造 国宝] が諸尊を守護しています。 創建以来の天平金堂と内陣の九尊が織りなす曼荼羅世界は、参拝者を魅了せずにはおかないでしょう。
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 20:32 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その21 薬師寺(4) 玄奘三蔵院伽藍 
薬師寺-1
玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)伽藍の 「礼門」。
薬師寺-2
玄奘三蔵院伽藍の中央に建つ 「玄奘塔」。
薬師寺-3
塔の頂上には金色の 「露盤宝珠;ろばんほうじゅ」 が輝きます。
薬師寺-4
玄奘塔の北側にある建物が、大唐西域壁画殿(だいとうさいいきへきがでん)です。
薬師寺-5
この中には、平山郁夫画伯が描いた壁画が祀られています。
薬師寺-6
伽藍の回廊を通り、出口へ向かいます。
薬師寺-7
最後に、本坊寺務所を撮影して薬師寺の見学を終ります。
JUGEMテーマ:写真
 
 玄奘山三蔵院伽藍中央の玄奘塔は、法相宗(ほっそうしゅう)の始祖・玄奘三蔵のご頂骨を真身舎利(しんじんしゃり)として奉安し、須弥壇(しゅみだん)には玄奘三蔵訳経(やっきょう)像をお祀りしています。 また、大唐西域壁画殿は、平山郁夫画伯が30年の歳月をかけ完成された玄奘三蔵求法(ぐほう)の精神を描いた壁画を絵身舎利(えしんしゃり)としてお祀りするものです。(薬師寺リーフレットより)

 玄奘三蔵(600または602〜664)は、『西遊記』 で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。 17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰った経典の翻訳に専念、その数1335巻に及びます。 玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識(ゆがゆいしき)」 の教えでした。 その教えの流れを継承している宗派が法相宗です。 現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖にあたります。 昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。 その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられました。 薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。 平成12年(2000)12月31日に平山画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる 「大唐西域壁画」 は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。(HP薬師寺・玄奘三蔵院伽藍より引用)

 大唐西域壁画殿に祀られている平山郁夫画伯の壁画は、長安を発ち、高昌故城の遺跡を描き、最も難所であった天山を越え、ヒマラヤ山を仰ぎ仏跡ナーランダ―などをたどり、天竺に至る玄奘三蔵求法の旅とその精神を描くもので、7場面13枚からなり、つなぐと計49mになる超大作です。 撮影禁止でお見せできませんが、是非一度ご覧になることをお勧めします。 素晴らしいです。 公開期間を確かめてお出かけ下さい。
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その20 薬師寺(3) 西塔
薬師寺-1
昭和54年4月に復興された薬師寺 「西塔;さいとう」 です。
薬師寺-2
東塔と比較すると、鮮やかな色彩に目を奪われます。
薬師寺-3
高さは33.9m、本瓦葺き。 東塔に比べて30cm高い。 木の縮みを考えて高くしてあり、200年後には同じ高さになるそうです。
薬師寺-4
中門・西塔・金堂・東塔の中央に立つ、音声(おんじょう)菩薩が彫られている灯籠。
薬師寺-5
白鳳伽藍の一角に建つ 「鐘楼」。
薬師寺-6
白鳳伽藍の北出口 「與楽門」 です。
薬師寺-7
境内のほぼ中間に掲示されている 「薬師寺境内図」 です。
薬師寺-8
青葉の薄墨桜を見ながら 「玄奘三蔵院伽藍」 へ向かいます。
薬師寺-9
松林に芝生がきれいな広場です。
薬師寺-10
青い空と緑の芝生、広々として気持ち良いです。
薬師寺-11
正面に、玄奘三蔵院伽藍の 「礼門」 があります。
薬師寺-12
振り返ると先に見学した 「白鳳伽藍」、左に東塔、右に西塔、中央に金堂が見えます。
JUGEMテーマ:写真

 薬師寺西塔は享禄(きょうろく)元年(1528)に兵火で焼失し、昭和56年4月に453年ぶりに創建当初の白鳳様式をもって復興されました。
 華麗な西塔が長年の風雪に耐えた東塔と並び立つさまは、大変印象的な光景と言えます。 (薬師寺リーフレットより)
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その19 薬師寺(2) 東塔(国宝)
薬師寺-1
国宝 薬師寺東塔 薬師寺で唯一現存する、創建8世紀当時の建物。
薬師寺-2
その優美な姿は 「凍(こお)れる音楽」 と形容されるほど、これまで多くの文化人や芸術家に讃美されてきました。
薬師寺-3
見かけは六重に見えますが、三重の塔です。
薬師寺-4
東回廊を通って東塔見学口へ向かいます。
薬師寺-5
回廊の途中に 「写真で見る東塔解体修理事前調査報告」 が展示されています。
薬師寺-6
(1)写真(上) 初層 天井 西南部分
 天井板及び支輪板に描かれている彩色文様の剥落が著しい。
(2)写真(下) 初層 身舎(もや)柱礎石
 礎石が沈下したため、明治の修理時に根継ぎを行っている。
薬師寺-7
 薬師寺東塔の心柱について
 薬師寺東塔の心柱は、ひび割れから下部の空洞化が確認されていて平成6年に、内視鏡とレントゲンによる柱内部の調査を行いました。
 その結果、直径約90cmの心柱の木部は薄いところで3〜4cm、厚いところででも(下部より1.6mの高さで)14cm〜15cm程度表層が残っている状況でした。空洞部分は天井付近(下部より3.6mの高さ)まで届き、円錐形の様な空洞になっています。この原因は未だ、白蟻あるいは菌によるものか定かでありません。
 このままでは日本で一番美しい塔と云われる東塔が直下型の地震により崩壊する事が予想されるため、平成17年に緊急の補強工事をしました。
 初重部分については、桶のタガのように鉄のバンドで心柱を巻くように補強し、天井より上の部分についても免震ゴムを用いて東塔の解体修理が本格的に始まるまでの応急処置として対処しています。
 (1)写真(上) 補強済み心柱全体。 (2)写真(下) ひび割れ部拡大。
薬師寺-8
(1)写真(左上) 初層 身舎 北西隅組物
軒を受けている手先肘木(てさきひじき)が組手部分で裂け、木口部分が垂下している。また、巻斗(まきと)の側面に割れが生じている。
(2)写真(左下) 初層 身舎 東面南より二間目組物
手先肘木の内側となる部分においても上の写真と同様の裂損が生じている。
(3)写真(右上) 二層 裳階(もこし) 腰組 東北隅 東面
手先肘木の組手部分に裂損が生じ、また、方斗の敷面と手先肘木の下端に隙間が生じている。
(4)写真(右下) 二層 裳階 腰組 南面
手先肘木の垂下により巻斗の斗尻に隙間が生じ、また、含みの側面部分に折損が生じている。 
薬師寺-9
(1)写真(左上) 三層 裳階 東面中央手先肘木
腐朽(ふきゅう)または虫害により木口が大きく破損している手先肘木。
(2)写真(左下) 三層 裳階 南面東寄り高欄
風蝕(ふうしょく)による破損が甚だしく、いまにも落ちそうになっている高欄。
(3)写真(右上) 二層 裳階 東面間斗(けんと)
風蝕による破損が大きくなっている木口斗(こぐちます)
(4)写真(右下) 初層 裳階 北面柱
腐朽または虫害が著しく、礎石への接地面積が小さくなっている。
薬師寺-10
順路に従って東塔の見学口へ向かいます。
薬師寺-11
東塔初層の軒下部分、かなり老朽化が進んでいます。
薬師寺-12
見学を終え、東塔直下から見た全景。
薬師寺-13
見学出口から見た美しい姿の 「東塔」 です。
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 東塔(国宝・白鳳時代)
 各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが、三重の塔です。 この特異な形が、全体として、律動的な美しさを保ち、"凍れる音楽"という愛称で親しまれています。 相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24人の天女が透かし彫りされています。 笛を吹くもの、花をまくもの、天に舞い上がるものなど、躍動感あふれる表現は、金工細工として非常に優れた作品です。
(薬師寺リーフレット、国宝の旅より)

 尚、今年の秋頃から覆い屋の建設が始まり解体修理に入ります。 平成30年度までの予定です。 この美しい優美な姿が当分の間、見られなくなります。
 薬師寺のHPによりますと、国宝東塔特別入堂拝観期間、平成23年3月1日〜21日とありました。 この機会に東塔の見学をお勧めします。

 【ミニ知識】 裳階(もこし)・・・・広辞苑より
 建物の軒下壁面に造られた庇(ひさし)様の差掛(さしかけ)。 これのある建物を雪打造(ゆたずくり)という。 法隆寺金堂・薬師寺三重塔に見られる。
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 19:26 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その18 薬師寺(1) 金堂
薬師寺-1
薬師寺南門、見える塔は左が西塔、右が東塔です。
薬師寺-2
これから薬師寺の見学をします。
薬師寺-3
入口にある世界遺産の石碑。
薬師寺-4
朱色が鮮やかな中門と西回廊。
薬師寺-5
中門と東回廊。
薬師寺-6
薬師寺-7
中門に安置されている二天王像。 平成3年(1991)に復元復興されたもの。
薬師寺-8
中門を入ると、目の前にそびえる龍宮造りの 「金堂」 。 昭和51年(1976)再建。
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 薬師寺は天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。 その後、平城遷都(710)に伴ない現在地に移されたものです。
 当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の荘美を誇りました。 すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階(もこし)を施した金堂や塔の佇まいの美しさは、“龍宮造り” と呼ばれ、人々の目を奪いました。
 兵火や天災で創建当初の建物は東塔(国宝)を残すのみとなっていましたが、金堂の再建に始まり、西塔、中門、回廊などの白鳳伽藍が次々と再建されています。2003年春には境内で最大の堂、大講堂が再建されました。(薬師寺リーフレットより)
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その17 慈光院(4) 絵になる風景
慈光院-1
慈光院・書院に掲げてある額、残念ながら何と書いてあるのか分かりません。
慈光院-2
美しい庭園のパノラマ写真です。
慈光院-3
限られた時間内で撮影した慈光院の風景です。
慈光院-4
色々な樹木が彩りを添えます。
慈光院-5
緑が鮮やかな庭園の風景です。
慈光院-6
玄関先から書院を望みます。
慈光院-7
絵葉書が作れそうな美しい庭園の風景です。
慈光院-8
最後にもう一度、茨木城楼門から見る素朴な佇まいの書院を撮影してきました。
JUGEMテーマ:写真

 郷土資料事典 「奈良県」 に 「慈光院」 を、次のように紹介しています。
 交通;JR大和路線 「大和小泉」下車徒歩15分
     近鉄 「郡山」下車、バス15分 「慈光院」下車

 寛文3年(1663)小泉城主片桐貞昌が、父貞隆菩提のため、京都大徳寺の玉舟を開山に招じて創建した寺である。
 片桐石見守貞昌は、片桐且元の甥で、茶道石州流の祖として知られ、寛文5年(1665)には徳川4代将軍家綱の茶道師範となった。
 寺としてよりも、大名茶人好みの書院・茶室と大和平野を借景した庭園で有名である。 入母屋造り、茅葺きの素朴な佇まいをみせる書院の内部は、上の間・中の間・下の間からなり、上の間は大名、中の間は家老・住職が席を占めることになっていたという。 書院の北東隅にある茶室は、二畳台目の本席に、二畳の控の間つきで、主人床の席として知られる江戸中期の代表的な茶室である。 書院の縁先ある 「角ばらず」 「独坐」 「女之字」 と名付けられた三つの手水(ちょうず)鉢も名高く、書院・茶室は国の重要文化財に、手水鉢も付指定となっている。
 書院の庭園は枯山水だが、石組を用いず、白砂を前にした大刈込を配しただけのもので、大和平野を一望に収める雄大な借景が見事で、いかにも大名茶人の庭園らしい風格があり、国の史跡・名勝に指定されている。
 また寺の楼門は、片桐且元の居城した茨木城(大阪府)の楼門を移したものである。
 <宗派> 臨済宗大徳寺派 <山号> 円通山 <開山> 玉舟
 <重文> 茶室及び書院(付手水鉢3箇)

 【ミニ知識】 片桐且元(かたぎり かつもと)・・・百科事典マイベディアより
 安土桃山時代の武将。 通称助作、東市正(いちのかみ)。 豊臣秀吉に仕え賤ヶ岳(しずがたけ)の戦で七本槍の一人として有名。 1601年摂津(せっつ)茨木城に入る。 秀吉の死後、淀君らと不和になり、大坂夏の陣に徳川方に属した。(1556―1615)

 色々な事が学べる 「慈光院」、一度お出かけ下さい。 筆者お勧めの寺院です。
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その16 慈光院(3) 茶室と本堂(方丈)
慈光院-1
慈光院・書院の一角に造られた国指定重要文化財 「高林庵茶室」 です。
慈光院-2
慈光院には二つの茶室があります。 そのもう一つが重文 「閑茶室」 です。
慈光院-3
席中はやや暗く、躙り口(にじりぐち)がなく廊下から入る形になっています。
慈光院-4
茶室の天井、格式高い造りになっています。
慈光院-5
慈光院-6
重文・石州候作 手水鉢 「女之字」 です。
慈光院-7
書院から本堂へ続く廊下には、外庭が見える窓が設けられています。
慈光院-8
書院から本堂へ向かう廊下です。
慈光院-9
本堂(方丈)、片桐石州像・釈迦如来像・開山玉舟和尚像が安置されています。
慈光院-10
本堂前の庭園。
慈光院-11
奥には五葉松、手前には座禅石が配された美しい庭園です。
JUGEMテーマ:写真

 当地の大名であった片桐貞昌(石州)の説いた茶の教えは武士の間へと広がってゆき、徳川四代将軍の家綱をはじめ各地の大名の多くが学ぶようになって、石州は茶人としての名を残すこととなる。
 それゆえ慈光院自体も荘厳な雰囲気のものではなく、境内全体が一つの茶席の風情になるよう考えられおり、表の門や玄関までの道、座敷や庭園、そして露地を通って小間の席という茶の湯で人を招く場合に必要な場所の一揃えが石州の演出そのままに残されている。 現在このように一人の茶人の総合的な演出を、三百年以上の歳月を越えて眼にすることができるという意味では全国的に見ても大変貴重な場所となっている。(慈光院リーフレットより引用) 
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 18:37 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その15 慈光院(2) 美しい庭園
慈光院-1
慈光院、書院から望む美しい庭園。
慈光院-2
片桐家の家紋をあしらった菓子と、おいしい抹茶を頂きながら住職の話を聴きます。
慈光院-3
手入れが行き届いた松、重文の石州候作の 「角ばらずの手水鉢」 を配し、遠くには奈良平野の借景を取り入れ美しい庭園を成しています。
慈光院-4
庭園の美しさの特徴に、大刈り込みがあります。
慈光院-5
縁側に座ってしばし至福の時を楽しんできました。
慈光院-6
写真愛好家として最高の被写体です。
慈光院-7
アングルを変えながら美しい庭園を切り取ります。
慈光院-8
手前は石州候作の重文 「独坐の手水鉢」 です。 庭石や笹の配置が素晴らしいです。
JUGEMテーマ:写真

 慈光院のリーフレットには 「庭園」 を次のように記載しています。
 さつき一種類の丸い刈り込みと、数十種類の木々の寄せ植えにした刈り込みを用い、境内の中だけを独立した庭園とするのではなく、周囲の風景・景観と調和するように構成されている。禅寺の庭園にしては石をほとんど用いず、多くの種類の木々を用いた庭にされているのも、茶席の庭として季節ごとの風情を楽しめるようにしたものである。

 慈光院の庭園は、旅雑誌等で写真を見て一度は行ってみたい庭園でした。 書院の座敷から見渡す庭園の美しさには感動します。 奈良平野の田畑まで取り込んだ借景、それに大胆かつ繊細な刈り込みの美しさは見事です。
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
古都奈良の旅 名所めぐり その14 慈光院(1) 茨木城楼門 
慈光院-1
臨済宗大徳寺派 「慈光院;じこういん」 入口。
慈光院-2
緑に囲まれたきれいな石敷道を上ります。
慈光院-3
「名勝及史蹟慈光院庭園」 「茶道石州流発祥之寺」 の石碑が見えます。
慈光院-4
慈光院一之門をくぐります。
慈光院-5
慈光院-6
一之門横に掲示されている説明書きです。
慈光院-7
静寂が漂う石敷の参道を進みます。
慈光院-8
参道の脇には露出した木の根、生命力を感じます。
慈光院-9
「茨木城楼門」 をくぐります。
慈光院-10
重要文化財 慈光院 茶室・書院・庭園の表示板、真っ直ぐ進むと玄関へ 
慈光院-11
カメラを右に振ると、農家風の外観に造られた 「書院」 です。
慈光院-12
書院側から見た 「茨木城楼門」 です。
JUGEMテーマ:写真

 奈良定期観光バスの旅、法隆寺の見学を終え、次の訪問先は庭園で有名な 「慈光院」です。 慈光院は奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院。 山号は円通山。 本尊は釈迦如来。 石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建しました。
 寛文3年(1663)に貞昌(石州)が父・貞隆の菩提寺として大徳寺185世・玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立。 慈光院の名は、父・貞隆の法名 「慈光院殿雪庭宗立居士」 から採られたものです。(フリー百科事典・ウィキペディアより)

 茨木城楼門
 貞昌(石州)の伯父片桐且元(かたぎりかつもと)が城主であった摂津茨木の城は、石州の出生地でもあるが、後に徳川家康の発した一国一城令により取り壊されてしまう。 その中の楼門(櫓門)を貰い受け移築し、屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えて当院の山門とされた。(慈光院リーフレットより) 
| 古都奈良 名所めぐり(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
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