質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
東京今昔物語 その11(完) 六本木ヒルズ
六本木ヒルズ-1
ここは、六本木ヒルズ 展望台 東京シティビュー です。
六本木ヒルズ-2
展望台は 「六本木ヒルズ森タワー」 の52Fにあります。
六本木ヒルズ-3
展望台から見る、海抜250mからの眺望は絶景です。
六本木ヒルズ-4
この展望台は、天井が高く360度ガラス張りの解放感あふれる空間です。
六本木ヒルズ-5
ゴージャスな空間から東京の姿が一望できる展望台です。
六本木ヒルズ-6
展望台にはお洒落なショップが並びます。
六本木ヒルズ-7
エスカレーターで 53F にある 「森美術館」 を見学」します。
六本木ヒルズ-8
当日(2/26)は 「医学と芸術展」 が開催されていました。
六本木ヒルズ-9
六本木ヒルズ-10
六本木ヒルズ-11
ビル内には色々なショップが並びます。
六本木ヒルズ-12
目に付くディスプレーです。
六本木ヒルズ-13
こんな癒しの空間もあります。
六本木ヒルズ-14
六本木ヒルズ森タワーに隣接して 「テレビ朝日本社ビル」 があります。
六本木ヒルズ-15
現在地が表示されている地図、左側のビル・レジデンスには、俳優・タレントやミュージシャンなどの著名人が数多く居住しているとのこと。
夕暮れの東京
はとバスツアー 「東京今昔物語」 も終り、夕暮れの東京です。
はとバス発着所
夕方17:30 東京駅南口の 「はとバス発着所」 に帰ってきました。
JUGEMテーマ:写真

 はとバスで行く 「東京今昔物語」 は、東京駅丸の内南口を9:40分に出発し、皇居前広場→靖国神社→浅草→お台場→六本木ヒルズを観光し東京駅に17:40に帰るコースです。 東京の新旧名所を訪ね、歴史を感じる旅です。 最後に訪れた六本木ヒルズ・東京シティビューは東京タワーを眼下に見下ろす絶景です。 はとバスで東京見物する希望が叶いました。(完)
| 東京今昔物語 | 19:59 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その10 お台場散策 フジテレビ(3)
フジテレビ-1
フジテレビ 球形展望室 「はちたま」 からの眺望を終え出口へ
フジテレビ-2
階段を降りて24Fへ進みます。
フジテレビ-3
24Fから下りエレベーターに乗ります。
フジテレビ-4
7F 屋上庭園
フジテレビ-5
7F フジテレビショップ F―island
フジテレビ-6
入口には 「浜田大明神」 が祀られています。
フジテレビ-7
5F フジテレビ きっかけストリート(番組見学エリア)です。
フジテレビ-8
色々なパネルやポスター掲示されています。
フジテレビ-9
有名な方のサッカーシューズも展示。 サインから読み取って下さい。 筆者は?
フジテレビ-10
このエリアでは、合成映像の体験ができます。
フジテレビ-11
「はねるのトびら」 に出演の皆さんです。
フジテレビ-12
情報プレゼンター とくダネ!の司会者」の皆さん
フジテレビ-13
笑っていいとも!のコーナー
フジテレビ-14
きれいで明るい見学通路、色々な番組のコーナーがあります。
フジテレビ-15
フジテレビ人気マスコット 「ラフくん」 です。
フジテレビ-16
人気番組、クイズ!ヘキサゴン兇亮命織僖優襪盡れます。
フジテレビ-17
リアルな表情を見せる 「ターミネーター」 も展示されています。
フジテレビ-18
フジテレビの見学も、下りの 「チューブエスカレーター」 で終りです。
フジテレビ-19
最後に広場に掲示されている案内板。 色々楽しめます。
JUGEMテーマ:写真

 はとバス・「東京今昔物語」 のお台場自由散策で 「フジテレビ」 を見学しました。 普段余り8チャンネルを意識しないでテレビを鑑賞していますが、日頃見ている番組の8チャンネル系が多いのには驚きました。 特に 「笑っていいとも!」 は1982年10月4日に番組がスタートして、現在29年目に突入している長寿番組です。 ギネスブックに生放送単独司会記録者に認定されているタモリさんに敬意を表します。
| 東京今昔物語 | 20:47 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その9 お台場散策 フジテレビ(2)
はちたま-1
お台場 フジテレビ 球形展望室 「はちたま」 の内部です。
はちたま-2
「はちたま」 からの眺望風景。
はちたま-3
東京タワーやレインボーブリッジが一望できます。
はちたま-4
きれいな半円形の 「ホテル日航東京」 が眼下に見えます。 左側は「台場駅」です。
はちたま-5
 「自由の女神像」 が見えます。 高さ11m、重さ9トンのブロンズ像。 パリの女神像と同一だそうです。 1998年から99年に 「日本におけるフランス年」 を記念してフランスから2年間、「自由の女神像」 が現在地に設置されました。 帰国した後、パリの女神を造ったと同じクーベルタン鋳造所により同じひな形から1/1のレプリカが造られ現在地に設置されました。 ちなみに最も有名なアメリカ・ニューヨーク州にある 「自由の女神像」 は、高さ34m 重さ225トンです。
はちたま-6
はちたま-7
眼下に見える 「海上バスのりば」、湾内周遊や隅田川を上って浅草まで航行。
はちたま-8
手前に見る二つの高層ビルは 「東京ビックサイト」(有明) です。
はちたま-9
フジテレビ25Fでエレベーターを降りて、「はちたま」 に向かう通路から撮影。 パレットタウンの観覧車が見えます。
JUGEMテーマ:写真

 今回は、フジテレビ 25F 球形展望室 「はちたま」 からの眺望を写真展示します。 撮影時、小雨が降る生憎の空模様で、視界が悪くスッキリとした写真が展示出来ないのが残念です。 しかし 「はちたま」 からの眺望は素晴らしいです。 自由の女神像がお台場にあることを今回初めて知りました。 しかもラッキーなことに女神像の顔がフジテレビ側に向いているのには少々驚きました。 何でも女神の前で記念写真を撮る場合、背景にレインボーブリッジや東京タワーが入るように考慮されたのではないかとのこと。 お台場に来られたら 「はちたま」 からの眺望はお勧めです。
| 東京今昔物語 | 19:02 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その8 お台場散策 フジテレビ(1)
台場駅
ゆりかもめ、「台場駅」 です。
フジテレビ-1
台場駅の近くに 「フジテレビ」 はあります。 シンボルの球体が見えます。
フジテレビ-2
フジテレビ前の広場です。
フジテレビ-3
お馴染みの 「フジテレビ」 のマークが風になびいています。
フジテレビ-4
インフォメーションで 「球体」 へのチケットを購入します。 大人500円
フジテレビ-5
球体に向かう 「チューブエスカレーター」 に乗ります。
フジテレビ-6
明るくて快適な 「チューブエスカレーター」 で7Fまで上がります。
フジテレビ-7
7Fの 「屋上庭園」 から見上げた球体です。
フジテレビ-8
ここから球体に行く 「エレベーター」 に乗ります。
フジテレビ-9
入口ではマスコットがお出迎え!
フジテレビ-10
25F にある球体入口
フジテレビ-11
ここは球体展望室 「はちたま 」です。 8チャンネルの球と解釈しました。
フジテレビ-12
フジテレビ-13
広い円形の空間を持つ展望室です。
フジテレビ-14
展望室の構造が円形であることが分かります。
フジテレビ-15
「はちたま」 グッズが販売されています。
フジテレビ-16
展望室内にある 「はちたま」 スタジオ。 無料でスタジオ体験ができます。
JUGEMテーマ:写真

 「はとバス」 で行く 「東京今昔物語」は、皇居前広場(二重橋・楠正成像)→靖国神社→浅草下町味覚→浅草観音と仲見世の見学を終え、次の観光地は 「お台場」 自由散策です。 お台場で行ってみたかったのは  「フジテレビ」です。 社屋のシンボル、球体の正体が何なのか確認したかったのです。
| 東京今昔物語 | 20:21 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その7 浅草・浅草寺(4) 市川團十郎像など
浅草寺-1
浅草・三峯(みつみね)神社 浅草寺の境内にある秩父三峯神社の末社。 江戸時代には火事が多かったため、三峯信仰の信者が、火防祈願に秩父まで赴かなくてもお参りができるようにするため浅草寺境内に末社を勧請したものと思われます。 御利益 魔除け、盗賊除け、火防、家内安全など。
浅草寺-2
浅草寺-3
六地蔵石幢(ろくじぞうせきどう) 石幢とは石塔の一つで、龕部(がんぶ;仏像を納める厨子のこと)の六面にお地蔵さまが刻まれている。 造立年代は不明だが、一説に、源義朝参拝の折に鎌田正清によって建立されたといわれる。しかしながら、石幢造立が流行した室町時代の可能性が高い。 もとは雷門の東方にあったもので、後に花川戸、明治になってこの地へ移された。
浅草寺-4
聖観音菩薩像(しょうかんのんぼさつぞう) 観音さまは、われわらの苦しみをとり除き、お願いをきいて、「慈悲の心(あたたかい心)」を与えてくださる仏さま。 この像は、尾張国の孝山義道の発願(ほつがん)により、享保5年(1720)に建立された。 台座に 「千日参供養佛」 と刻まれている。 銅製。
浅草寺-5
一言(ひとこと)不動尊 怒りのお姿をした不動明王さまは、そのお姿をして教化し難い者を導き、その力でわれわれの迷いの心を打ち切ってくださる仏さま。 この一言不動尊は、何か願い事を一つに限って祈願すると、その願いがかなうとされ、古来より霊験が著しいといわれている。 享保十年(1725)造立。
浅草寺-6
浅草寺-7
 橋本薬師堂 当初は観音堂の北方にあって、北薬師と呼ばれた。 慶安2年(1649) 三代将軍徳川家光が観音堂の北西に再建し、堀にかかる橋のかたわらにあったので、家光自身が橋本薬師堂と名付けた。 平成六年、現在の場所に移転した。
 現在の建物は、桁行三間(約5.35m)、梁間三間(約5.10m)、屋根は入母屋造、瓦葺。 外部はかなり改変され、前面にあった三間に一間の向拝は取り除かれているが、浅草寺境内に遺存する堂宇のうち、浅草神社の社殿と同時代で、二天門や影向堂脇の六角堂に次ぐ古建築である。薬師如来坐像を本尊とし、他に前立の薬師如来と十二神将像が安置されている。
浅草寺-8
 淡島堂(あわしまどう) 元禄年間(1688〜1704) に紀州加太(かだ) の淡島明神を勧請してお堂が建立された。 現在の淡島堂は、戦後の仮本堂であった旧影向堂(ようごうどう) を移築・改修したもので、本尊は阿弥陀如来。 淡島明神のほか、虚空蔵菩薩、取子地蔵菩薩が祀られています。
 入口左手にあるのが 「写経供養塔」。 浅草寺では、昭和33年の本堂落慶を記念して、「観音経写経運動」 を発願しご信徒各位にお写経をお勧めしており、ご奉納いただいたお写経は、毎年十月の写経供養会にてご本尊観音さまの御宝前に奉安され、供養されえいる。 平成六年に造立されたこの宝塔型の写経供養塔には、その年にご奉納されたお写経の経題と巻数とを記した 「目録」 をご奉安し、ご信徒各位のお写経の功徳を後世に伝え讃嘆している。(掲示板より)
浅草寺-9
この石灯籠は 「胎内くぐりの灯籠」 として江戸時代から有名であったもので、参拝の子どもがこの灯籠の下をくぐることで、虫封じや疱瘡(ほうそう)除けになると伝えられています。
浅草寺-10
淡島堂 「魂針供養塔之塔」  毎年2月8日には 「針供養」 が営まれ、日ごろ使用して折れた針を柔らかい豆腐に刺して感謝の意を表すもので、多くのご婦人方で賑わう
浅草寺-11
淡島堂、平和塔 浅草地区の戦災殉難死者慰霊塔。
浅草寺-12
浅草寺境内に建立されている、九代 市川團十郎像
浅草寺-13
 銘  大正八年 江戸歌舞伎ゆかりの地 浅草の浅草寺境内に 劇聖と謳われた明治の名優九代目市川團十郎の歌舞伎十八番 「」 の銅像が作られました この銅像は近代彫塑の先駆者深海竹太郎氏の傑作であり歌舞伎の象徴として全國の人々から親しまれておりました ところが第二次世界大戦中の昭和十九年十一月三十日金属類回収のため この「暫」の銅像も供出の命を受け 四十余年を経てまいりました
 この度 十二代市川團十郎襲名を機に復元の機運が高まり 浅草寺の御理解のもと 多くの方々に御尽力を賜り ここに 「暫」 の銅像が再現されました 十一代目並びに十二代市川團十郎父子 地元浅草及び松竹株式会社三者の永年の願いが叶えられたことになります
 こののちも 歌舞伎の盛隆とともに この 「暫」 の銅像が歌舞伎の象徴として 日本國民はもとより世界の人々からも幾久しく愛されますことを願ってやみません
     昭和六十一年十一月三日              宇野信夫撰書
   九代目市川團十郎「暫」銅像復元建設委員会  十二代 市川團十郎
                                  浅草観光連盟
                                  松竹株式会社   
JUGEMテーマ:写真

 浅草は下町情緒を残す街として東京を代表的な観光地となっており、羽子板市、ほおずき市などの年中行事は多くの人出で賑わっています。 今回の、はとバスツアーで浅草寺の全てを見てまわる予定でしたが、浅草神社(重文) などが撮影できていません。 次の機会に挑戦したいと思います。

 【ミニ知識】 暫(しばらく)・・・広辞苑より
 歌舞伎十八番の一。 1697年(元禄10) 中村座の 「参会名護屋」 に初代市川團十郎が初演。 主人公の荒事役が 「暫く」 と声を掛けて現れ、悪人どもをこらしめる以外は、上演ごとに筋を新作。 現行定本は1895年(明治28) 9代團十郎所演の台帳による。
| 東京今昔物語 | 21:19 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その6 浅草・浅草寺(3) 宝蔵門
浅草寺-1
朱色が色鮮やかな 「宝蔵門;ほうぞうもん」 正面。 仁王門とも呼ばれています。
浅草寺-2
 宝蔵門(ほうぞうもん) 宝蔵門は、大谷米太郎の寄進で、昭和39年に浅草寺宝物の収蔵庫を兼ねた山門として建てられた。 鉄筋コンクリート造で重層の楼門である。 外観は旧山門と同様に、江戸時代初期の様式を基準に設計されている。 高さ21.7m、間口21.1m、奥行は8.2mある。 下層の正面左右には錦戸新観(にしきどしんかん)、村岡久作(むらおかきゅうさく)の制作による、木造仁王像を安置している。
 浅草寺山門の創建は、「浅草寺縁起」によると、天慶5年(942)、平公雅(たいらのきみまさ)によると伝える。 仁王像を安置していることから仁王門とも呼ばれる。 その後、焼失と再建をくり返し、慶安2年(1649)に再建された山門は、入母屋造、本瓦葺の楼門で、昭和20年の空襲で焼失するまでその威容を誇っていた。
浅草寺-3
浅草寺-4
浅草寺-5
仁王さま 「阿形;あぎょう」 昭和39年(1964)に、現在の宝蔵門の再建に際し、仏師の錦戸新観氏によって制作された。総高5.45m、重さ約1000Kg、木曾檜造りである。 仁王さまのご縁日は8日。身体健全、災難厄除けの守護神であり、所持している金剛杵は、すべての煩悩を破る菩提心の象徴である。 この仁王さまは、宝蔵門にあって、日々参詣諸人をお迎えし、人々をお守りしている。
浅草寺-6
門中央の 「小舟町」 と書かれた大きな提灯は日本橋小舟町(こふなちょう) 奉賛会より奉納されたもの。 平成15年に、江戸開府400年を記念して15年ぶりに新調されました。 高さ3.75m、直径約2.7m、重さ400kgもあります。
浅草寺-7
浅草寺-8
提灯の両隣りにある2個の吊灯籠は、魚河岸講より昭和63年10月に奉納されたもの。 銅製で高さ2.75m、重さ1000kgもあります。
浅草寺-9
浅草寺-10
仁王さま 「吽形;うんぎょう」 昭和39年(1964)に、現在の宝蔵門の再建に際し、仏師の村岡久作氏によって制作された。 総高5.45m、重さ約1000kg、木曾檜造りである。 仁王さまのご縁日は8日。 身体健全、災難厄除けの守護神であり、所持している金剛杵は、すべての煩悩を破る菩提心の象徴である。 この仁王さまは、宝蔵門にあって、日々参詣諸人をお迎えし、人々をお守りしている。
浅草寺-11
本堂から見た 「宝蔵門」
浅草寺-12
 宝蔵門に奉納されている 「大わらじ」 高さ4.5m、幅1.5m、重さ500kg、藁2500kg使用。 山形県村山市有志より平成20年(2008)10月奉納、昭和16年(1941)の初回以来、7回目。 わらじは仁王さまのお力を表し、「このような大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」 と驚いて魔が去っていくと言われている。 なお、仁王さま 「吽形」 の制作者、村岡久作氏が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されたものです。 製作期間1ヶ月、のべ人数800人の人手により出来上っているそうです。(浅草寺諸堂案内より)
浅草寺-13
境内に建立されている 「大谷米太郎翁・さと子夫妻」 の胸像 大谷米太郎翁は明治14年(1881)〜昭和43年(1968) 86歳で逝去。 昭和15年(1940)、一代で大谷重工業を設立。 東京オリンピックを機にホテル・ニューオータニを建設した実業家。
浅草寺-14
               大谷米太郎翁寿像記
翁ハ明治14年富山縣ニ生ル壮ニシテ上京大谷製鋼所ヲ創立シ社運隆々今日ノ大ヲナス夙ニ大慈ニ帰依シ浅草寺信徒総代トナリさと子夫人ト共ニ宝蔵門ノ寄進ノ外伽藍ノ復興に尽力シ衆庶ノ信仰ヲ荘厳ス其ノ功徳永ク金龍ト俱ニ輝カン 昭和四十二年十月一日(説明碑文より)
JUGEMテーマ:写真
 
 宝蔵門、現在の門は浅草寺の山門として、内部三層のうち上部二層に近代的な防災設備を施した収蔵室を設け、浅草寺の什宝物収蔵の宝蔵門として大谷重工業・ホテルニューオータニ創始者の大谷米太郎氏のご寄進により復興再建されました。
| 東京今昔物語 | 20:30 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その5 浅草・浅草寺(2) 雷門
浅草寺-1
境内に掲示されている説明文
浅草寺-2
金龍山 浅草寺の総門 「風雷神門」、通称 「雷門」 です。
浅草寺-3
向かって正面・右側が 「風神」
浅草寺-4
向かって正面・左側が 「雷神」
浅草寺-5
向かって裏面・右側が 「金龍像」
浅草寺-6
向かって裏面・左側が 「天龍像」
浅草寺-7
掲示されている雷門(風雷神門) の説明文
浅草寺-8
浅草寺-9
境内に建つ 「久米平内堂」
浅草寺-10
 九頭龍権現(くずりゅうごんげん)(右)・・・・龍神さまは、仏教をお守りし、雨を操り、わらわらに五穀豊穣や福徳を授けてくださる。 この九頭龍権現は長野県戸隠山の地主神で、昭和33年の本堂再建にあたって、その成就を祈るべく勧請された。 現在も浅草寺の伽藍安穏の守護神である。
 金龍権現(きんりゅうごんげん)(左)・・・・寺伝の縁起によれば、浅草寺ご本尊観音さまのご示現にあたり、天より百尺ばかりの金龍が舞い降りて、その功徳を讃え観音さまをお守りしたとされることから、浅草寺の山号を 「金龍山;きんりゅうざん」 という。 これにより奉安されたのが、この 「金龍権現」 である。 このことに因み、現在、3月18日と10月18日の年2回、浅草寺境内にて寺舞 「金龍の舞」 が奉演されている。 
浅草寺-11
 「迷子しるべ石」 昔、迷子が出た時には、この石碑でその旨を知らせた。 石碑の正面に 「南無大慈悲観世音菩薩」 と刻み、一方に 「志らする方」、一方に 「たづぬる方」 とし、それぞれに用件を記した貼紙で情報を交換した。 情報未発達の時代には重宝され、「江戸」 市内の繁華な地に建てられたものの一つ。 安政7年(1860)3月、新吉原の松田屋嘉兵衛が、仁王門(現宝蔵門 )前に造立したが、昭和20年の空襲で倒壊したため、昭和32年に再建された。
浅草寺-12
 「銭塚弁財天;ぜにづかべんざいてん」 弁財天さまは、七福神のお一人で仏教をお守りする善神である。 芸能や学問の上達、財宝や福徳の神とされる。 この銭塚弁財天さまは、福徳財運の弁財天さまとして、特に信仰が篤い。
浅草寺-13
浅草寺-14
同じ境内に建つ 「影向堂;ようごうどう」
JUGEMテーマ:写真

 浅草寺・雷門、切妻造の八脚門で風神像、雷神像を安置することから正式には 「風雷神門」 といいますが 「雷門」 の通称で呼ばれています。 慶応元年(1865)に焼失後、長らく仮設の門が建てられていましたが昭和35年(1960)、約1世紀ぶりに鉄筋コンクリート造で再建されました。 実業家・松下幸之助氏が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進されたものです。 門内には松下電器産業(現パナソニック) 寄贈の大提灯があり、三社祭の時と台風到来の時だけ提灯が畳まれます。
(フリー百科事典・ウィキペディアより) 
| 東京今昔物語 | 19:01 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その4 浅草・浅草寺(1) 貴重な写真!
浅草寺-1
浅草寺境内案内図
浅草寺-2
仲見世から見た 「雷門」
浅草寺-3
いつ来ても賑わっている仲見世通り
浅草寺-4
浅草寺-5
浅草寺-6
浅草寺-7
軒を並べるお土産屋さん
浅草寺-11
境内に安置されている浅草不動尊 「なでぼとけ」
浅草寺-12
浅草寺-19
 「鳩ポッポの歌碑」も境内に建立されています。
 この詩は日本中の多くの人々に親しまれている日本の代表的な童謡の一つです。
東くめ女史が明治34年に観音さまの境内に於いて、鳩とたわむれている子供らの愛らしい姿をそのまま歌によまれたものであります。・・・・・

      『鳩ポッポ』  作曲 瀧 廉太郎  作詩 東 くめ(86才) 
          はとポッポ はとポッポ
          ポッポ ポッポ とんでこい
          お寺のやねから下りてこい
          豆をやるから皆たべよ
          たべてもすぐにかえらずに
          ポッポ ポッポと鳴いて遊べ

浅草寺-13
浅草寺-14
境内に展示されている彫刻、朝倉文夫作 「慈雲の泉 雲」
浅草寺-17
浅草寺-18
東京都指定有形文化財(建造物) 浅草寺六角堂
浅草寺-8
外国からの観光客が多い浅草寺
浅草寺-9
朱色が鮮やかな 「宝蔵門」
浅草寺-10
美しい五重塔
浅草寺-15
平成本堂大営繕中の 「本堂」、貴重な写真です。
浅草寺-16
  山本寛斎プロデュース 〜平成本堂大営繕美観プロジェクト〜
 浅草寺本堂天井に描かれた川端龍子による「龍之図」が巨大な金龍へと姿を変えて本堂を守る姿を、本堂仮囲いのメッシュシートに表現しています。「浅草寺縁起」 には、西暦628年「天より百尺ばかりの金龍が舞い降りて、観音さまをお守りした」 とあり、浅草寺の山号 「金龍山」 の由来となっています。
JUGEMテーマ:写真

 はとバスツアー 「東京今昔物語」、浅草・米久本店で美味しい 「牛鍋」 の昼食後、浅草・浅草寺を散策しました。 ツアー当日(2/26)、浅草寺本堂が平成本堂大営繕中でシートを被っていますとのガイドがありました。 そのシートが美しく、またと見れませんとの説明。 そこで撮影したのが今回展示した写真です。 美観プロジェクトまで結成して作られたシート、見応えがありました。 現在は営繕もほぼ完了し、シートは撤去されています。
| 東京今昔物語 | 20:01 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その3 浅草ひさご通り 米久本店
浅草ひさご通り-1
浅草ひさご通り-2
はとバスで行く 「東京今昔物語」 、昼食会場となる「浅草ひさご通り」へ
米久本店-1
「米久本店」 が昼食会場です。
米久本店-2
入口では布袋さんが出迎えてくれます。
米久本店-3
格調高い階段を昇り二階へ
米久本店-4
床の間にはきれいな花が活けられています。
米久本店-5
これが昼食、米久の牛鍋! 美味でした。
米久本店-6
 テーブルに置かれている説明文です。次のように書かれています。(抜粋)
 明治の初め、世間で牛肉を食べ始めました頃は、まだまだ消費はごくわずかでした。
しかし、牛肉が美味しいと広まると急に消費がふくらんで、どんどんと牛肉は高価になって参りました。 運送や冷蔵の設備のない時代で、牛肉の保存が大変難しいこともあり、大衆に提供していくのはとても困難でした。
 そこで、牛肉をさばく技術の確立されていないこの時代に、米久の職人は、中国の名料理人 『包の丁さん』 を見習って、米久型という包丁を考案し、牛肉を手早くさばき、山盛りにし提供できるようにしました。
 それが大衆にも気楽に牛肉を楽しめると、人気を博して、「いかにも身に成る米久大山盛牛鍋」と、大正時代には高村光太郎さんが 「米久の晩餐」 という詩の中で謳い褒めたたえています。・・・・・
はとバス-1
今回の 「はとバス」 ツアーが掲載されているカタログです。
はとバス-2
ツアー参加の決め手の一つに、「米久の牛鍋」 を食べることです。
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 はとバスで行く 「東京今昔物語」 のコースは、皇居前広場(坂下門…二重橋前・・・・楠正成像)、靖国神社、浅草下町味覚(食事)、浅草観音と仲見世、お台場、六本木ヒルズ・東京シティビューです。 昼食に米久の牛鍋が食べられるのが楽しみでした。 明治より100年4世代にわたり伝統の味が守られている、和牛がたっぷり味わえる牛鍋は絶品です。
| 東京今昔物語 | 19:05 | comments(0) | - |
東京今昔物語 その2 靖国神社と大村益次郎像
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厳粛な雰囲気が漂う 「靖国神社」
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境内に立つ 「母の像」
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春には、境内の梅の花が咲き、春のおとずれを告げます
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境内には、平和の象徴である白い鳩が棲んでいます。
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境内に建立されている、東京三大銅像の一つに数えられる 「大村益次郎像」 です。
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 案内板には次のように書かれています。
 大村益次郎は文政7年(1824)、周防国鋳銭司村(現、山口県山口市) の医者の家に生まれ、はじめ村田蔵六といった。 広瀬淡窓について儒学を、緒方洪庵について蘭学を学び、嘉永の初め宇和島藩に仕えてはじめて西洋式軍艦を設計建造。 さらに江戸に出て私塾 「鳩居堂」 を開き、幕府の講武所教授等を勤め蘭学者、蘭方医、兵学者としてその名を高めた。ついで桂小五郎の推薦により長州藩に仕え、慶応2年、第二次長州征伐の折に、石州口の戦を指揮して幕府軍を破り戦術家として脚光を浴びた。 戊辰戦争では新政府の軍務局判事に任じられ、大総督府に参じ東北の乱を平定。ついで兵部大輔に任じられ、建議して軍制を洋式に改める事を主唱したため攘夷主義者を刺激し、京都出張中の明治2年(1869) 9月。 不満士族に襲われて重傷を被り、同年11月5日大阪にて歿した。 46歳。
 明治2年6月、戊辰戦争の戦歿者を祀る東京招魂社(現、靖國神社) の創建に際し、社地選定のため同月12日、この地を視察したことも記録に見え、靖國神社創建者としての功績は大きく、明治15年、伯爵山田顕義らにより銅像の建立が発議され、宮内省から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師大熊氏廣に塑型の製作が委嘱された。
 大熊氏廣は明治9年、工部美術学校の開設と同時にその彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザの薫陶をうけ、同15年に首席で卒業する。 卒業後は工部省に入り、皇居造営の彫刻製作に従事、明治18年に大村益次郎の銅像製作を委嘱されると、この任を重んじ彫刻研究のため欧州に留学する。 パリ美術学校ではファルギエルにつき、ローマ美術学校ではアレグレッティ、さらには巨匠モンテヴェルデに入門した。 大熊氏廣の帰朝後、漸く明治26年にいたりこの地にわが国最初の西洋式銅像が建立された。 大熊はキヨソネの描いた大村益次郎の肖像画や遺族らに取材しながら製作にあたったという。 陣羽織をつけ左手に双眼鏡をもち、東北の方を望む姿は、上野東叡山にたてこもる彰義隊討伐の時の様子といわれる。 後に大熊は、有栖川宮熾仁親王、小松宮彰仁親王などの彫像を制作し、文部省美術展覧会審査委員を務めた。
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 靖国神社(やすくにじんじゃ)
 東京都千代田区九段坂上にある神社。 明治維新前後以来の国事に殉じた者の霊を祀る。 幕末の国事殉難者と戊辰(ぼしん)戦争の官軍の戦死者を祀るため、1869年東京招魂社として設立。1879年靖国神社と改称され、別格官幣(かんぺい)社となり、日清戦争以来の戦没者を祀る。 皇室および陸海軍の保護をうけていたが、第二次世界大戦後は国家の手を離れ、宗教法人となった。(日本史事典より)

 東京三大銅像の一つ大村益次郎像、名前は知っていましたが、功績については今回の案内板を読むまで余り知らず、勉強させてもらいました。 それと全くの偶然ですが記事を書いた本日 11月5日は大村益次郎の命日です。 冥福をお祈りします。

 なお、東京今昔物語 その1 はこちらに記載していますので見て下さい。
| 東京今昔物語 | 19:01 | comments(0) | - |
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