質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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大阪名所めぐり その23 通天閣(4) 活気あふれる商店街
通天閣-1通天閣-2
通天閣では色々なことが楽しめます。
通天閣-3
お土産品を見るのも楽しいものです。
通天閣-4
地上と2階を結ぶエレベーターの乗りかごは円柱形ですが、この形状のエレベーターが設置されたのは通天閣が世界で最初とされています。 平成13年(2001)にこのエレベーターは更新されましたが、形状は現在もそのままです。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
通天閣-5通天閣-6
通天閣-7
活気あふれる商店街です。
通天閣-8
もう一度、振り返って通天閣を見ます。 夜間は、黄金色と白色を基調とするネオンの光で塔全体が彩られ、さらに毎時0分になると、塔東側面にある大時計の文字盤が鮮やかなグラデーションで光ます。 ネオンはおよそ5年毎に模様替えされており、現在のものは12代目です。 また、塔頂上には翌日の天気予報を4つの色の組み合わせで示すネオンサインが点灯します(白=晴れ、橙=曇り、青=雨、ピンク=雪)。 このネオンサインの装置は大阪管区気象台と専用回線で接続されており、そこからの情報に基づいて予報が表示される仕組みになっています。 昭和54年(1979) に日立製作所により製作、設置されたものです。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
通天閣-9
通天閣-10
ど迫力な店構えが目を引きます。
通天閣-11
通天閣のあるところは、大阪市浪速区にある新世界界隈です。
通天閣-12
JR大阪環状線、新今宮(しんいまみや)駅です。
通天閣-13
筆者来る時 「西口」 に降りてしまい通天閣を探すのに苦労しました。 高さ103mの塔なので、どの出口から下りても直ぐ分ると思ったのですが、西口からはその姿を発見できませんでした。 人に道を訪ねながらたどり着きました。 通天閣にJRで行かれる場合は 「東口」 が便利です。
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 23回にわたって写真展示しました「大阪名所めぐり」、今回をもって一旦終了です。 大阪の二大名所、大阪城と通天閣が撮影でき念願が叶いました。 まだまだ大阪には御堂筋や造幣局の桜の通り抜けなどなど撮影したい名所がたくさんあります。 次の機会に撮影したいと思っています。(完)
 尚、次回より 「日本三奇祭!吉田の火祭り」 を写真展示しますので見て下さい。
| 大阪名所めぐり | 21:11 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その22 通天閣(3) 幸運の神様 「ビリケン」 さん
通天閣-1
通天閣5階の展望台に、幸運の神様 「ビリケン(Biliken)」 像が安置されています。
通天閣-2
足の裏を撫でると幸運が訪れるという言い伝えがあります。
通天閣-3
ビリケン由来記が掲示されています。
通天閣-4
売店にはビリケンさんグッズが並んでいます。
通天閣-5
幸運を呼び込む 「のれん」 も売られています。 ちなみにお値段は2,100円です。
通天閣-6
カップルで通天閣からの眺望が楽しめます。
通天閣-7
上りのエレベーターで見た 「ビリケン」 さん
通天閣-8
下りのエレベーターで見た 「ビリケン」 さん
通天閣-9
3階イベントホールに置かれている真っ赤な 「ビリケン」 さん
通天閣-10
商店街に置かれている 「ビリケン」 さん
通天閣-11
白い 「ビリケン」 さんも置かれています。
通天閣-12
商店街のど真ん中に鎮座する黄金色の 「ビリケン」 さん、よく目立ちます。
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 通天閣5階に安置されている 「ビリケン」 像、これは新世界にかって存在していた遊園地である 「ルナパーク」 が開業した明治45年(1912) 当時、世界的に流行していたビリケンの像をルナパーク内に作られたビリケン堂に安置されたのが始まりです。 大正12年(1923) にルナパークが閉園した時期を境に像の行方がわからなくなっていましたが、昭和54年(1979)、通天閣の3階に 「通天閣ふれあい広場」 が作られたのを機に復元されました。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
| 大阪名所めぐり | 20:15 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その21 通天閣(2) 展望台からの眺望
通天閣-1
展望台に行くエレベータです。
通天閣-2
エレベーターの天井には、通天閣の守り神 「ビリケン」 さんが見守ります。
通天閣-3
地上91mの展望台からの眺望です。 中央に見える立派な建物は 「大阪市立美術館」 です。 館の所在地は住友家本邸のあった場所で、住友家から美術館の建設を目的に日本庭園 「慶沢園」 とともに敷地を寄贈され、1936年に開館したものです。
通天閣-4
隣接して 「天王寺動物園」 があります。 約11haの園内に約230種1,000匹の動物が飼育され、動物の生息地を可能な限り再現した 「生態的展示」 が見所の一つです。
通天閣-5
通天閣の南側に広がる風景です。 手前には世界最大級の天然温泉を誇る 「スパワールド」 や 「阪神高速道路」 が見えます。
通天閣-6
眼下に林立しているにはホテルなどのビル群です。
通天閣-7
通天閣西側の眺望です。 遠くに見える山は 「六甲山」 です。
通天閣-8
山裾の見えるドームは 「京セラドーム大阪」 、オリックス・バファローズの本拠地。
通天閣-9
通天閣北側の眺望です。展望台から先ず探したのが大阪城でしたが、撮影当日残念ながら肉眼では見付けることはできませんでした。 後日撮影した写真の中からその姿を発見しました。写真右上に青いビルをバックにくっきりと 「大阪城」 が写っています。
通天閣-10
その部分を拡大した写真です。 小さな感激を味わいました。
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 通天閣(つうてんかく)は、大阪府大阪市浪速区にある新世界界隈の中心部に立つ展望塔です。 国の登録有形文化財です。 大坂の観光名所の一つです。
 通天閣を舞台としたテレビ番組や串カツ人気の高まりもあって平成18年(2006)に90万人、平成19年(2007)には100万人を超える入場者を数えています。 開業54年目の今年、平成22年(2010) 6月30日に入場者数3,500万人を達成しました。 (フリー百科事典・ウィキペディアより)
| 大阪名所めぐり | 19:14 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その20 通天閣(1)
通天閣-1
JR大阪環状線 「新今宮」 駅下車徒歩約10分、新世界公園本通商店会に到着。
通天閣-2
さすが大阪、「くいだおれの町」、食べ物屋さんが並びます。
通天閣-3
づぼらや本店を左折すると正面に 「通天閣」 が見える、通天閣南本通商店会です。
通天閣-4
高さ103.3mの 「通天閣」 がそびえ立ちます。
通天閣-5
高さ91mの展望台です。
通天閣-6
通天閣の真下にきました。
通天閣-7
これからエレベーターの乗って2階展望券売り場に向かいます。
通天閣-8
ここからエレベーターに乗ります。
通天閣-9
エレベーター横に掲示されている 「全国タワー高さくらべ」、通天閣は下段にあります。
通天閣-10
通天閣一基が平成19年5月15日登録有形文化財に指定されています。
通天閣-11
通天閣-12
2階へ向かうエレベーターの内部には、きれいな絵が描かれています。
通天閣-13
エレベーターを降りると全日本タワー協議会のポスターです。 全てのタワー20基を撮影しながら征服してみたいものです。
通天閣-14
ここが通天閣展望券売場、入館料600円です。
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 大阪城の撮影を終え、JR大阪環状線・大阪城公園駅から7つ目の駅 「新今宮」 で下車、徒歩10分のところにある 「通天閣」 にやってきました。 こらが浪速(なにわ;大阪市およびその近辺の古称)のシンボル 「通天閣」 です。 「通天閣」 とは、「天に通じる高い建物」という意味で、命名したのは明治初期の儒学者、藤沢南岳です。
 初代は大正生まれ現在の通天閣は2代目です。 初代通天閣が建てられたのは今から約90年前。 上がエッフェル塔、下がパリの凱旋門という奇抜なデザインでしたが、戦時中に焼失。 戦後、地元市民たちによって再建。2代目通天閣は、庶民の手でつくられた、ほんまもんの 「大阪のシンボル」 と言えます。
 大阪城からも見えた通天閣の側面に出ている 「日立」 の広告は、完成翌年の昭和32年(1957) から、当時、地元の大手電機企業(松下・三洋・シャープ) に対抗して大阪に進出しようとしていた日立が長期にわたって広告をだしたものです。
初代通天閣
初代、今から90年前の通天閣。 上がエッフェル塔、下がパリの凱旋門という奇抜なデザインです。(通天閣公式ガイドブックより引用させてもらいました)
| 大阪名所めぐり | 19:27 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その19 大阪城公園散策
大阪城-1
 大阪城天守閣(昭和6年復興) 第1層大破風の菊紋破風(きくもんはふ)飾り
 豊臣時代大坂城大天守には、大棟や大破風などに黄金色の輝く装飾品が多用されていました。 現在の復興天守閣の大棟や破風にも銅板打ち出し金箔二度押しの飾り金物が用いられています。 破風飾りとしては最大のものです。
直径90cm 厚さ5.5cm
大阪城-2
大阪城-3
南仕切門跡・太鼓櫓跡(みなみしきりもんあと・たいこやぐらあと)
大阪城-4
ボランティア ガイドの説明を聞く旅人です。
大阪城-5
大阪城の空堀と石垣です。
大阪城-6
大阪城-7
西の丸庭園にある門、名前がありません 。門の向こうには内堀があります。
大阪城-8
 巨石築造の謎(城内掲示版より)
 京橋口枡形(ますがた) の修復工事(昭和53年3月終了) のさい、肥後石およびその南につらなる巨石がいずれも薄い板状であること、裏側に支えの石垣があることなどが判明。 また、蛸石についても、その右端に生じたすき間から厚さが70〜90cmほどの板状であることがわかっており、枡形などの巨石がいずれも予想外に薄い板状に加工されていることが判明してきた。 石面を大きく使いたいというねらいとともに、運搬・積み上げなど技術面の制約からこのような板状加工が施されたのであろう。 しかし、これらの巨石は特殊なのであって、ほとんどの石垣の石は石面よりも奥行が2〜3倍も長い。

写真左上 京橋口枡形の巨石 「肥後石」
写真左下 京橋口枡形石垣の断面 奥の巨石が肥後石、手前の石とさらにその手前の巨石がいずれも板状で、裏側に支える石垣が発見された。
写真右上 城内最大の巨石 「蛸石」 (本丸入口桜門のつきあたりにある)
写真右下 大手見付石
大阪城-9
大阪城巨石一覧 ベスト11まで掲載。 巨石の推定厚さは0.9mになっています。
大阪城ホール
大阪城を一周した時、撮影した 「大阪城ホール」 です。 大阪城に接近していることから、周囲の景観を損ねないよう、設計には配慮がなされています。 本体部分は地下に埋め込まれており、地上部分は周囲が石垣で囲まれています。手前に見える門は、大阪城青屋門です。
幸村桜-1
豊國神社境内に植樹されている 「信州上田 幸村桜」 です。
幸村桜-2
 信州上田 幸村桜
 「大坂の陣」 で獅子奮迅の活躍をし、「日本一の兵」 と絶賛された真田幸村公は、大阪市民をはじめとし、多くの人々にいまも愛され、親しまれている。
 その幸村公の取り持つ縁により、大阪城と上田城は平成18年10月に友好城郭提携を結び、これを期に弊会は両市に記念碑を贈呈し、上田市民との交流を図ってきた。 このたび、上田市有志の会より、友好城郭提携3周年、新生上田市発足3周年を記念し、幸村公のふるさと信州上田を一望する玄蕃山のオオヤマザクラの奉納申し入れがあり、幸村公が義を尽くした豊臣家のゆかりのこの地に植樹することとし、その証をここに記すものである。 平成二十一年十二月吉日 財団法人 住吉名勝保存会
ロードトレイン-1
大阪城公園内を走る 「ロードトレイン」、豊國神社前にあるのりば 「桜門前」 です。
ロードトレイン-2
城南ルート(約2km)、桜門前と大手門前を巡回。 料金は大人200円、子供100円
タイム・カプセル-1
大阪城天守閣の前庭に埋められている 「タイム・カプセル」 です。
タイム・カプセル-2
「タイム・カプセル EXPO’70」 は、5000年後の人類への贈り物です。
タイム・カプセル-3
 タイム・カプセル EXPO ’70
 「人類の進歩と調和」 をテーマにした日本万国博覧会を記念して毎日新聞社、松下電器産業株式会社の両社は同じ内容のカプセル2個を完成し、この地下15mに埋設しました。
 日本をはじめ世界各国の協力を得て選んだ20世紀の文化所産2098点が、最新の保存技術によって特殊金属製容器に収納されています。
 私たちは限りない世界の平和と繁栄を信じて、5000年後の人類にこれを残します。 上部のカプセルは毎世紀初頭に、下部のカプセルは6970年に開封していただくことをここにお願いします。
 1971年3月15日 形状:球形 内容積:50万c屐‘盞臓1m 重量:2.12t
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 織田信長の遺志を継いだ豊臣秀吉が築城。 秀吉の死後、大坂の陣により消滅。 豊臣大坂城を凌駕する徳川大坂城が完成する。 今回、昭和6年に復興された大阪城をつぶさに撮影してきました。 日本三大名城の一つ大阪城、見る者を圧倒します。 19回にわたって写真展示しました 「大阪城」 は今回をもって終了です。 次回からは大阪城からほど近い 「通天閣」 を写真展示しますので見て下さい。
| 大阪名所めぐり | 20:49 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その18 大阪城 豊國神社
豊國神社-1
大阪城公園内にある 「豊國(ほうこく)神社」
豊國神社-2
豊國神社の鳥居
豊國神社-3
境内に建立されている 「豊臣秀吉公」 の像
豊國神社-4
豊國神社の拝殿・本殿です。
豊國神社-5
豊國神社は出世開運の神です。
豊國神社-6
 本殿奥にある 「秀石庭」
 大阪城は元石山本願寺のあった場所で石山をテーマとして巨石を組みかつ日本庭園の伝統の中に石山と蓬莱山とを同時に構成されている。 又神社庭園の発祥が磐座・磐境にあり石を神格化することに神社庭園の意味があるので七・五・三に石を配した石庭となっている。 豊國神社のご祭神豊臣秀吉公愛用の馬印瓢箪を地割模様として又鑑賞用石舞台の地紋にも瓢箪が描かれている。 本庭の石は阿波(徳島県) 産の緑泥片岩であって設計者 重盛三玲氏が会心の作を設計されるときの為に特に保存せられてあった巨石である。 昭和四十七年十二月三日京都林泉協会四十周年記念として奉納されたものである。
豊國神社-7
豊國神社-8
本庭園の命名は、豊臣秀吉の 「秀」 と石山の地名の 「石」 を取ったもの。
豊國神社-9
手前の鑑賞用石舞台の地紋に、馬印瓢箪が描かれています。
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 豊國神社は、大阪府大阪市中央区大阪城2番1号に鎮座する神社です。 明治12年(1879)11月 京都市の豊国神社の別社として創建されました。 主祭神は豊臣秀吉公・豊臣秀頼公・豊臣秀長卿です。 大正10年(1921) 京都市の豊国神社より独立。 昭和36年(1961) 現在地である大阪城公園内に遷座。 現在に至ります。 主な神事として、秀吉公の命日である8月18日に 「太閤祭」 が開催されます。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
| 大阪名所めぐり | 19:46 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その17 大阪城 西の丸庭園(2)
大阪城-1
大阪城-2
大阪城-3
 重要文化財 焔硝蔵(えんしょうぐら)
 徳川幕府が、鉄砲や大砲に使用する焔硝(火薬) を保管した蔵で、現在の焔硝蔵は貞享2年(1685)に建造されたもの。 焔硝蔵は以前にも城内数か所にあったが、青屋口にあった土蔵造りの焔硝蔵は万治3年(1660)に落雷を受けて大爆発を起こし、また別の場所にあった半地下式の焔硝も部材の腐食により建て直しがたびたびなされるなど、幕府は焔硝の有効な保管方法に苦慮していた。 そうした課題を克服すべく、この焔硝蔵では耐火・耐久・防水に特に工夫がこらされ、床・壁・天上・梁 【はり】 をすべて花崗岩 【かこうがん】 とし、石壁の厚さは約2.4メートル、屋根の下は土で固めてられている。 面積は約171.9平方メートル、高さは約5.4メートルで、こうした石造りの火薬庫はわが国では他に例がない。 徳川時代の大坂城には、西日本における幕府の軍事拠点として、焔硝のほかにも大量の兵糧や武器武具が備蓄されていた。
大阪城-4
西の丸庭園の散策路、訪れる人の憩いの場所です。 この先に 「乾櫓」 があります。
大阪城-5
大阪城-6
 重要文化財 乾櫓(いぬいやぐら)
 乾(戌亥) は西北をあらわす言葉で、西の丸の西北に位置することからこの名がついている。 大手口 【おおてぐち】 から京橋口 【きょうばしぐち】 までの広い範囲を見渡す重要な地点にあり、また、堀をへだてた城の外側の南・西・北のどの方角からも望めたことから「三方正面の櫓」 とも呼ばれた。 戦後の解体修理の際、「元和六年甲 【申】 ノ九月吉日 ふかくさ 作十郎」 とへら書きされた瓦が検出され、創建が元和6年(1620) であることがわかった。すなわち乾櫓は千貫櫓 【せんがんやぐら】 と同じく、徳川幕府による大坂城再築工事が開始された年に築かれた、大阪城に残る最も古い建造物である。 高さは約10.3メートルで2層2階建て、面積は1階の石落し部分をのぞくと各階とも約186.23平方メートルで、L字形の総2階造りという非常に珍しい構造をもつ。 この時期築かれた櫓の工事責任者は、茶人としても有名な小堀遠州 【こぼりえんしゅう】 である。
大阪城-7
大阪城-8
 坤櫓跡(ひつじさるやぐらあと)
 ここには二の丸の隅櫓の一つが建っていて、西の丸の南西(坤) にあたることから坤櫓とよばれた。 創建は徳川幕府による大坂城再築工事の初年にあたる元和6年(1620) と推定され、東西8間、南北7間の二層構造、窓はに西面・南面を中心に25あった。 規模は南に現存する千貫櫓とほぼ同じである。 明治維新の大火にも耐えて残ったが、第二次大戦の空襲で焼失した。
大阪城-9
西の丸庭園から見える天守閣、緑の額に入った 「大阪城天守閣」 がきれいでした。
大阪城-10
ズームレンズで拡大して見た天守閣最上層の光景、鶴と虎が描かれています。
大阪城-11
西の丸庭園入口のツツジがきれいでした。 2010年5月27日撮影
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 重要文化財に囲まれた西の丸庭園は、ソメイヨシノを中心に約600本の桜の名所として、大阪城公園内の約1250本の梅の花が咲き競う梅林とともに人々の人気を集めています。 花の見頃は3月下旬から4月上旬。 また、この期間、20時までぼんぼりがつけられ、その下で夜桜も楽しめます。
| 大阪名所めぐり | 19:01 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その16 大阪城 西の丸庭園(1)
大阪城-1
庭園入口附近ののツツジががきれいです。5月27日撮影。
大阪城-2
 大阪城西の丸庭園入口、案内板に書かれている庭園の説明です。
 西の丸庭園 古く豊臣時代の西の丸には多くの御殿が立ち並び、秀吉没後、慶長4年(1599) には秀吉の正室「北の政所」が一時住み、その後、慶長5年(1600) の関ヶ原合戦まで、徳川家康が移り住んだことが知られています。 徳川時代に入り、元和5年(1619)、内藤信正が初代の 「大阪城代」 となり、翌元和6年(1620)すっかり築き直しました。その後、明治維新(1868)まで、70代の城代が交代で城の管理にあたりました。 明治以降は軍用施設として使用されていましたが、徳川時代の「西の丸」跡地と、その南側に続いていた「城代屋敷」跡地などを一つにまとめ、昭和40年(1965)西の丸庭園として開園しました
大阪城-3
西の丸庭園、内芝生(面積33,000屐法⊂さなお子さんのいい遊び場所です。
大阪城-4
園内の桜並木がきれいです。開花時はさぞきれいでしょうね。
大阪城-5
庭園内に立つ案内板です。
大阪城-6
大きな木がそびえる庭園です。
大阪城-7ツツジの花がきれいでした。
大阪城-8
庭園内にある大きな休憩所です。
大阪城-9
庭園内にある茶室 「豊松庵」 です。
大阪城-10
西の丸庭園から見た 「大阪城」 がきれいでした。
大阪城-11
西の丸庭園からみた本丸の石垣です。
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 大阪城西の丸庭園の総面積が64,442屐内芝生面積が33,000屬塙大な芝生で附近の園児たちが元気に走りまわっています。園内には「千貫櫓」「乾櫓」「焔硝蔵」の重要文化財、休憩所、茶室 「豊松庵」 があります。
| 大阪名所めぐり | 22:26 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その15 大阪城 千貫櫓など
大阪城-1
大阪城の大手口を守る重要な隅櫓、重要文化財の「千貫櫓」
大阪城-2
千貫櫓の向こうに見えるのが 「大手門」です。
大阪城-3
大阪城-4
重要文化財 千貫櫓(せんがんやぐら)
 大阪城の大手口 【おおてぐち】 を守る重要な隅櫓 【すみやぐら】 である。 西側と南側は堀に面し、大手門に向かう敵を側面から攻撃することができた。 創建は徳川幕府による大坂城再築工事が開始された元和6年(1620)で、戦後の解体修理工事の際、墨書で 「元和六年九月十三日御柱立つ」 と上棟式の日を記した部材が見つかった。 二の丸北西に現存する乾櫓 【いぬいやぐら】 と同様に大阪城最古の建造物で、いずれも工事責任者は、茶人としても有名な小堀遠州 【こぼりえんしゅう】 である。 具体的な場所や規模は不明ながら、前身となる豊臣秀吉築城の大坂城にも千貫櫓はあり、さらにそれよりも前、織田信長が大坂を領していたころからも千貫櫓はあった。 名称の由来に関しては、織田信長がこの地にあった大坂(石山)本願寺を攻めた際、一つの隅櫓からの横矢に悩まされ、 「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」 と兵士たちに間で噂されたという逸話が残っている。 面積は1階が約217.26平方メートル、2階が約162.95平方メートル、高さは約13.5メートルである。 
大阪城-5
大阪城-6
 重要文化財 六番櫓(ろくばんやぐら)
 二の丸南側の石垣上には、2層2階でほぼ同規模の隅櫓 【すみやぐら】 が、東から西へ一番から七番まで建っていた。 この櫓は東から六番目であることから 「六番櫓」 という。 外側にあたる南面と西面に石落しを1か所ずつ設け、窓は外側を中心に26、鉄砲や矢を放つための狭間 【さま】 も多数あけられ、外敵に備えた堅固なつくりをなしている。 創建は徳川幕府による大坂城再築工事の最終段階にあたる寛永5年(1628) で、上層の破風 【はふ】 を飾る東西の懸魚 【げぎょ】 のうち、西側の懸魚の裏側に 「寛永五暦辰拾月吉日」 と書かれている。 面積は1階が約224.16平方メートル、2階が約133.43平方メートル、高さは約15.4メートルある。
大阪城-7
大阪城-8
大阪城-9
 重要文化財 金蔵(きんぞう)
 江戸時代、幕府の金貨、銀貨を保管した建物で、幕府直営の金庫としての役割を果たした。「かねぐら」 「かなぐら」 とも読む。 宝暦元年(1751)、この場所から南に延びていた長屋状の建物を切断・改築して築造され、以来、北西側に以前からあった金蔵を 「元御金蔵 【もとごきんぞう】」、この金蔵を「新御金蔵 【しんごきんぞう】」 と呼んだ。 高さは約5.8メートル、面積は93.11平方メートルで内部は大小2室からなり、手前の大きな部屋には、通常の出納用、奥の小さな部屋には非常用の金銀を置いた。 構造は防災と防犯に特に工夫がこらされ、床下は全て石敷き、入口は二重の土戸と鉄格子戸の三重構造、小窓は土戸と鉄格子、床下の通気口にも鉄格子がはめられている。 なお元御金蔵は明治25年(1892) の配水池建設にともなって今の金蔵の東隣に移築され、さらに昭和4年(1929)、陸軍によって高槻工兵隊の敷地内に解体移築され、のちに焼失した。
大阪城-10
 石山本願寺推定地
 明応5年(1496)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立した。これは現在のところ 「大坂」の地名が史料上に現れる初例である。
 『天文日記』 によると大坂坊舎は生玉八坊のひとつ法安寺の東側に建立されたといわれ、当時は小堂であったと考えられる。
 その後細川氏をはじめとする諸勢力との権力闘争の中で大坂の重要性が増すとともに、天文元年(1532)に六角定頼と法華宗徒により山梨本願寺が焼き打ちされるに及んで、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展した。
 石山本願寺周辺は、山梨と同様に広大な寺内町が造営された。その造営が現在の大阪の町並の原形となったと考えられる。
 その後十一世顕如の時代に、信長との石山合戦に敗れ、石山本願寺を退去した本願寺教団は、鷺森、貝塚、天満を経て京都堀川に本拠を移転する。
 一方、石山本願寺跡には豊臣秀吉によって大坂城が建設される。この時に、大規模な土木工事により地形的にかなりの改造が加えられたと考えられる。さらに大坂夏の陣ののち徳川大坂城が建設される際して、再び大規模な土木工事が行われた。
 このような状況のため、石山本願寺跡の正確な位置や伽藍跡についてはいまだ確認されていないが、現在の大阪城公園内にあたることは確実と考えられている。
                                   大阪市教育委員会
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 石山合戦 顕如の時代に隆盛を極めた石山本願寺だが、本願寺に指揮された一向一揆は、戦国大名たちには非常な脅威であった。 とくに天下統一の道を邁進する織田信長にとって避けては通れぬ難敵であった。 ついに元亀元年(1570)九月に始まった石山合戦と呼ばれる信長と本願寺との戦いは、たがいに同盟勢力の拡大や和睦戦術を盛り混ぜながらも10年の長きにおよぶ。 信長をしても10年もの間、陥落させえなかったほど石山本願寺は難攻不落の堅固な城であった。ようやく戦争が終結したのは天正八年(1580)四月、正親町(おおぎまち)天皇の仲介による和議によってであった。 和議の結果、顕如は親鸞像とともに大坂を出て紀州雑賀の鷺ノ森へと退去し、信長は大坂を手中に収めた。 (歴史群像名城シリーズ大坂城より引用) 
| 大阪名所めぐり | 22:08 | comments(0) | - |
大阪名所めぐり その14 大阪城天守閣からの眺望
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天守閣展望台から見える 「金の鯱」 です。
大阪城-2
円筒形の建物が大阪歴史博物館、その隣はNHKの建物です。大阪城-3
眼下に見える緑地帯は、西ノ丸庭園です。
大阪城-4
中央に見えるビルは、OAPタワーズ。 眺望が素晴らしいです。
大阪城-5
眼下に見える丸い建物は、大阪城ホールです。
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カメラを右に振るとグランドと遠くに山々を見ることができます。
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手前の建物が旧大阪市立博物館、中央に小さく見える櫓は 「六番櫓」です。
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これから行く 「通天閣」 が見えます。
大阪城-9
鶴の絵が描かれています。
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金色に輝く金具類がきれいです。
大阪城-11
展望台にあるミュージアムショップです。
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伏虎(ふせとら、原寸大複製) 高さ;1.5m、幅;3.3m 豊臣秀吉が作った大阪城の天守閣は、大変装飾性の高い建物で、最上階(第5層) の外縁腰板には伏虎(獲物を狙う姿勢の虎)の勇姿が描かれていました。 昭和6年(1931) の復興では、この天守閣がモデルとされたために虎も316年ぶりによみがえり、天守閣最上層の外縁四面に4種8頭がいて周囲に睨みを利かせています。 これはその東西面のうちの1頭です。
大阪城-13
2階に展示されているレプリカです。
大阪城-14
6階にある朱色が鮮やかな回廊です。
大阪城-15
「ミニチュア夏の陣」 が展示されています。
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 天守閣の屋根についている 「金の鯱」 は、口から水をはく伝説の動物で、火よけのおまじないです。 2階の展示場に現在に天守閣のてっぺんにあるものと同じ大きさのレプリカが展示されています。 記念写真が撮れます。
 大阪城天守閣からみる眺望は素晴らしいです。 遠く生駒や六甲の山も一望できます。 天気がよければ淡路島が見えるそうです。 お勧めの絶景です。
| 大阪名所めぐり | 22:39 | comments(0) | - |
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