2010.10.11 Monday
2010 日本三奇祭!吉田の火祭り その8(完) 夜の浅間神社
19:09 光の海、本通りの見学と撮影を終え、ツアーの集合場所浅間神社へ向かう。
19:10 神社に向かう国道138号も車両通行止めにして、松明が点火されています。
19:13 浅間神社第二鳥居を照らす大松明、扁額には 「富士山」 の文字
第二鳥居をくぐると大松明が参道を照らしています。
大鳥居を照らす大松明です。
大鳥居を照らす松明で扁額の文字 「三国第一山」 が読み取れます。 ここで言う三国とは、日本、唐土(もろこし;中国の古称)、天竺(tんじく;インドの古称) のことです。
浅間神社境内に建立されている 「東宮本殿」 です。
東宮本殿は国の重要文化財指定。 案内板には次のように記されています。
重要文化財 北口本宮冨士浅間神社 東宮本殿
明治40年8月28日(旧国宝) 指定
鎮座地 富士吉田市上吉田5558
祭神 天津日高彦火火出見命(あまつひこひこほほでみのみこと)、富士権現とも呼ばれた。貞応2年(1223) 北条義時の創建とも伝えられるが、現社殿は永禄4年(1561) 武田信玄が川中島合戦の戦勝祈願して浅間本社として造営したものである。 その後文禄3年(1594) に浅野氏重、元和元年(1615)に鳥居成次が修理し、さらに、慶安2年(1649) と延宝6年(1678) には秋元氏、享保19年(1734)には村上光清による修理が加えられた。
本殿は身舎梁間一間、桁行一間で全面に一間の向拝(ごはい)をつける一間社流造の形式である。 柱は床下部八角の丸柱を用い、高欄を回した縁と登高欄付五段の階を持つ。 屋根は檜皮葺で身舎からそのまま向拝まで延び破風には鏑縣魚(かぶらげぎょう)をつける。 この様式は向拝頭貫の蟇股(かえるまた)の彫刻とともに室町時代の手法を残すものである。外観の要所に施した装飾には桃山時代の影響がみられる。向拝柱にある金具の卍は村上講社の講印であり、藤の紋章は村上家の紋であるので、光清修理の時付けられたものであろう。
昭和27年(1952) 解体修理を行なった。
平成12年3月 山梨県教育委員会 富士吉田市教育委員会
20:00 大鳥居の松明も残り少なくなってきました。
夜が更けても、浅間神社の参拝者は跡を絶ちません。
夜の「北口本宮冨士浅間神社」、「吉田の火祭り」の見学と撮影を終え、ツアー一行は帰りのバスへと向かいます。
JUGEMテーマ:写真
日本三奇祭の一つに数えられている 「吉田の火祭り」、8月26日午後5時からの発輿祭、氏子中の渡御。 そして祭りのクライマックス、松明の点火など、一連の 「吉田の火祭り」 を堪能しました。 富士山と北口本宮冨士浅間神社、8月226・27日の秋まつりは山梨県が誇る一大イベントです。 市民が一体となった素晴らしい祭りです。 富士吉田市の皆さん感動ありがとうございました。(完)