質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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馬籠宿と妻籠宿の旅 その15(完) 妻籠宿(8) 妻籠宿散策
妻籠宿-1
きれいな妻籠宿を散策
妻籠宿-2
昔懐かしい大八車の車輪を撮影
妻籠宿-3
土産物屋の 「田丸屋」、煙の草と書いて 「タバコ」 と読みます。
妻籠宿-4
「商い中」 の看板が下がる食事処 「俵屋里久」
妻籠宿-5
大きな釜も妻籠宿の風景に馴染んでいます。
妻籠宿-6
南木曽博物館 歴史資料館、木曽路資料館の出口。 入口は脇本陣奥谷になります。
妻籠宿-7
妻籠宿本陣の前にある、「人馬会所(問屋場)」
妻籠宿-8
妻籠宿-9
掲示されている案内板
妻籠宿-10
妻籠宿本陣の屋根に置かれた石、当時の姿で復原されています。
妻籠宿-11
妻籠宿-12
妻籠宿-13
妻籠宿-14
色々な角度から 「中山道・妻籠宿」 を撮影
妻籠宿-15
妻籠宿の見学と撮影を終え、この細い路地を観光バスの待つ 「町営第1駐車場」 へ
妻籠宿-16
路地に掲げられている 「案内板」 です。
妻籠宿-17
梅の老木にきれいな花が咲いています。
妻籠宿-18
路地の脇を流れる小川の水もきれいでした。
JUGEMテーマ:写真

 15回にわたり写真展示しました 「馬籠宿と妻籠宿の旅」 今回をもって終了です。 今回のツアーは、天候には恵まれましたが、高速道路渋滞の影響で馬籠宿、妻籠宿とも見学時間が少なく、 外観のみの見学と撮影に終わってしまいました。
 南木曽町では毎年4月中旬に 「なぎそミツバツツジ祭り」 が開催されます。 その時期にもう一度、一泊で馬籠宿・妻籠宿を訪れ、今回できなかった博物館見学や夕暮れ時の撮影をしたいと思っています。(完) 
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:04 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その14 妻籠宿(7) 延命地蔵堂と尾又橋
妻籠宿-1
妻籠宿-2
屋号「柏屋」、素朴な飾りが旅人の心を和ませてくれます。
妻籠宿-3
光徳寺(こうとくじ) 家並みより一段高い台地に石垣を築き、白壁をめぐらせた気品ある寺で、明応9年に開山されたといわれています。
妻籠宿-4
寺下にある 「延命地蔵堂(汗かき地蔵)」 と石仏
妻籠宿-5
妻籠宿-6
延命地蔵堂の案内掲示版です。
妻籠宿-7
妻籠宿-8
石仏 「寒山拾得;かんざんじっとく)」 像の案内板です。
妻籠宿-9
中山道から右に折れて 「尾又橋」 へ向かいます。
妻籠宿-10
蘭川(あららぎがわ)に架かるレトロな橋 「 尾又橋」 です。 立札には 「告 通行人は左の橋を渡るべし  妻籠宿役人」 と書かれ、江戸時代の雰囲気が漂います。 橋を渡ると 「尾又橋バス停」 や中央駐車場があります。
JUGEMテーマ:写真

 妻籠宿、中山道沿いに建つ、「延命地蔵(汗かき地蔵堂」 文化10年(1813)、光徳寺住職 中外和尚が、地蔵尊像の浮かび上がっている岩を蘭川から運んできて安置したものです。 またレトロな橋 「尾又橋」 は妻籠宿と相まって江戸時代の雰囲気が漂う被写体です。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:38 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その13 妻籠宿(6) 寺下の町並み
妻籠宿-1
枡形の道の石段を上がると、「寺下の町並み」 があります。
妻籠宿-2
妻籠宿の原点ともいうべき、寺下の町並みです。
妻籠宿-3
雑誌などで、妻籠宿の紹介記事によく見かける風景です。
妻籠宿-4
時間があれば、じっくり三脚を立て夕暮れ時を狙って撮影したいところです。
妻籠宿-5
町並みの入口に掲示されている案内板 “―寺下の町並み―”です。
妻籠宿-6
町並みの風景によく似合う 「水桶」 です。
妻籠宿-7
寺下の町並みの中にある土産屋 「尾張屋」 です。
妻籠宿-8
有形文化財の 「上嵯峨屋;かみさがや」 です。 この建物は昭和44年の解体復原によって18世紀中期の木賃宿であることがわかりました。 建築当初の形式をよくとどめ庶民の旅籠(はたご)としての雰囲気をうかがうことができます。(妻籠宿案内図より)
妻籠宿-9
妻籠宿-10
江戸時代の情緒ある風景が堪能できる町並みです。
JUGEMテーマ:写真

 寺下の町並み、そこに人が住み、生活しながら続いてきたのが、妻籠宿の保存運動です。 最初に保存事業が行われた寺下地区、妻籠宿の原点ともいうべき町並みです。 余分な音がない静寂と落ち着きを感じる風景に心が癒されます。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その12 妻籠宿(5) 枡(ます)形
妻籠宿-1
観光案内所を過ぎると灯籠のある 「四叉路」 に出ます。
妻籠宿-2
妻籠宿-3
\庄Σ爾蟲貽察↓南前へ新道、E貂絃紊螻惺察↓に霧紊愧翊 の四方向に分岐します。 \庄Σ爾蟲貽察糞戝羯各察砲砲蓮枡(ます)形につくられた道があります。
妻籠宿-4
E貂絃紊螻惺擦愼擦任后 この道を行くと旧妻籠小学校があります。
妻籠宿-5
この道が \庄Σ爾蟲貽擦任后 左上の案内板には 「ここは枡形(ますがた) 徳川家康が慶長6年(1601)に宿場を制定した際、西国大名大名の謀反に備え、江戸への侵攻を少しでも遅らせるために設けられたものです」 と書かれています。
妻籠宿-6
ここは車は通りません。 往時を偲びながら町史跡 「桝形」 が散策できます。
妻籠宿-7
江戸時代の雰囲気が漂う、枡形につくられた旧中山道です。
妻籠宿-8
振り返ると、こんな石畳の風景が見れます。
妻籠宿-9
妻籠宿・撮影ポイントの一つ、枡形のある風景です。
妻籠宿-10
旅人が行き交う賑やかな街道の風景を思い浮かべながら撮影しました。
妻籠宿-11
枡形の終端から振り返って見ると、こんな風景です。 右側の道は新道です。
JUGEMテーマ:写真

 馬籠宿でも 「桝形;ますがた」 は存在しました。  この妻籠宿でも同様に宿場は、幕府により防塞施設としてつくられており、敵の侵入をはばむために道を直角に折り曲げてつくられています。 いわゆる 「枡形」 を設けていました。
 宿場の旅は、往時の様子を思い浮かべながら散策するのも楽しみの一つです。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 20:00 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その11 妻籠宿(4) 本陣とギンモクセイ
妻籠宿-1
「南木曽町博物館 妻籠宿本陣」 です。
妻籠宿-2
妻籠宿本陣 妻籠宿の本陣は、代々島崎氏が務めました。馬籠の島崎氏とは同族で、幕末にも妻籠から 「ぬい」 が馬籠の正樹(「夜明け前」の主人公青山半蔵)のもとに嫁ぎました。 七人の子供をもうけ、末子が春樹(近代の文豪島崎藤村)でした。 藤村の次兄広助(ひろすけ)は妻籠宿本陣の養子となり最後の当主となりました。 そ の後本陣は取り壊されましたが、平成七年に江戸時代後期の間取図を元に忠実に復原されたのが現在の建物です。
妻籠宿-3
妻籠宿で見かけた素朴な生花が、格子戸に似合います。
妻籠宿-4
妻籠宿-5
妻籠宿の 「観光案内所」、妻籠を愛する事務所もあります。
妻籠宿-6
入口に立っている石碑に 「御下賜金紀念日毎年七月二十五日」 と刻まれています。
御下賜金とは、明治22年に周囲の山林が皇室の御料林となり、明治38年から昭和22年まで、皇室から木曽谷住人に与えられたお金のことです。
妻籠宿-7
この時期、観光案内所の内部に雛まつりが飾ってあります。(3月20日撮影)
妻籠宿-8
観光案内所の脇を60mほど行くと 「ギンモクセイ」 があります。
妻籠宿-9
妻籠宿-10
途中、美しい花を愛でながら進みます。
妻籠宿-11
 長野県天然記念物 妻籠のギンモクセイ 昭和43年3月21日指定
 ギンモクセイは単にモクセイともいって暖地に育成する常緑高木である。 九州に自生するというが詳(つまびら)かでない。 栽培した巨木で知られているのは、広島県に二本、大阪府・愛媛県・石川県・和歌山県に各一本で、ここのものはこのうち最も東よりのものであり、太さからいっても和歌山県のものに比べて優劣がない。 ヨウラクランの着生は、この木の古木であることをよく物語っている。
 矢崎家の庭木として代々愛育されてきたものである。 樹相は、地上30cmで周囲1m91cm、この上で二本に分かれ西枝は周囲1m45cm、東枝は88cm、高さは約8mである。(案内板より)
妻籠宿-12
長野県指定天然記念物 「妻籠のギンモクセイ」 です。
JUGEMテーマ:写真

 南木曽町博物館は、妻籠宿本陣と脇本陣奥谷、歴史資料館の三館により構成され、共通券で見学できます。 全館共通券大人700円(個別で購入するより200円のお得)です。 今回はツアーのため、見学時間が1時間ほどしかなく、博物館などを観ることができませんでした。 妻籠宿を深く知る上で博物館の拝観は不可欠です。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:34 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その10 妻籠宿(3) 妻籠郵便局
妻籠宿-1
江戸時代の宿場の風景を色々な角度から撮影してきました。
妻籠宿-2
妻籠宿 「ふれあい館」、無料の休憩所にもなっています。
妻籠宿-3
ここでは 「木のボールペン」 の製作実演も見れます。
妻籠宿-4
見事な手作業で、ボールペンの軸が削られていきます。
妻籠宿-5
色々な手づくり品が、お土産として売られています。
妻籠宿-6
妻籠宿-7
開運・手づくり干支も販売しています。
妻籠宿-8
美しい妻籠宿の風景を撮影しながらの散策です。
妻籠宿-9
妻籠宿の見所の一つ 「妻籠郵便局・郵便史料館」 です。
妻籠宿-10
往時の風情が漂う妻籠郵便局、中では通常の郵便業務が行われています。 局内には日本の郵便制度の歴史が分かる史料などが展示されています。 また妻籠宿では、運が良ければ昔ながらの装束で駆け回る郵便屋さんに出会うことができます。
妻籠宿-11
妻籠郵便局と郵便史料館の案内が掲示されています。
妻籠宿-12
全国で唯一の黒いポストが復原された現役のポストです。 記念に郵便局の窓口で宿場が描かれた切手を買い、このポストに投函する人が多いそうです。
妻籠宿-13
「書状集箱」 の説明文が掲示されています。
妻籠宿-14
約1kmにわたって続く 「妻籠宿」、見応えがあります。
JUGEMテーマ:写真

 妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道六十九次の42番目の宿場です。 隣接する43番目の宿場・馬籠宿と、馬籠宿に至る峠道と合わせて木曽路を代表する観光名所として名高いところです。
 経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中で、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年(昭和51年)、国の重要伝統建造物保存地区の最初の選定地の一つに選ばれました。(フリー百科事典・ウィキペディアより) 
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その9 妻籠宿(2) 南木曽町博物館
妻籠宿-1
江戸時代の風情が漂う 「妻籠宿」 の佇まいです。
妻籠宿-2
妻籠宿-3
宿場町の軒下に活けられた一輪ざし、心和む風景です。
妻籠宿-4
電柱が一本も無い江戸時代の風景が復原され、気持ちが良いです。
妻籠宿-5
妻籠宿-6
妻籠宿-7
さりげない飾りや土産品が軒下を彩ります。
妻籠宿-8
南木曽町博物館 脇本陣奥谷・歴史資料館の入口です。
妻籠宿-9
 南木曽町(なぎそまち)博物館(掲示板より)
 脇本陣奥谷(おくや:国重要文化財) 木曽桧をふんだんに用いて、明治十年に建てられた豪壮な建物です。 同十三年には明治天皇の御小休所(おこやすみじょ)になりました。 島崎藤村の詩 「初恋」 に詠われたおふゆさんの嫁ぎ先でもあります。 常時、係員による案内を行っています。
 歴史資料館 映像や模型を駆使して、木曽の歴史や妻籠宿の保存のあゆみを分かり易く紹介しています。 ここを御覧になれば、妻籠宿への理解がより一層深まります。
妻籠宿-10
 国重要文化財 林家住宅(脇本陣奥谷) 
 林家住宅とは、林家住宅は江戸時代の末から明治にかけて建設された建物で、近世の町家建築の様式をふまえています。 江戸時代には厳しい山林の統制があり、桧(ひのき)などの貴重な木材の使用を禁じられていました。 木曽の人々は山の桧を目の前にしながら、決して使用することができなかったのです。
 明治になって尾張藩の統制が終わり、林家では自分の家の山から桧、さわらなど、それまで伐ることのできなかった大径木をふんだんに伐り出して住宅の建築用材としました。 これが現在の 「奥谷」 という屋号の林家住宅であり、江戸時代には大名や公家たちが宿泊する脇本陣だったことから、南木曽町博物館の施設の名称として 「脇本陣奥谷」 と呼ばれています。(HPぶらり南木曽より)
妻籠宿-11
敷地内に立つ石碑には、「明治天皇妻籠御小休所」、又片面に 「史蹟名勝天然紀念物保存法ニ依リ史蹟トシテ 昭和十五年八月 文部大臣指定」 と刻まれています。
妻籠宿-12
表札に 「南木曽博物館 脇本陣奥谷」 と書かれています。 平成13年6月15日付で南木曽町博物館で 「脇本陣奥谷」 として公開されている 「林家住宅」 の主屋、文庫蔵、土蔵、侍門が国の重要文化財に指定されました。(HPぶらり南木曽より)
妻籠宿-13
土蔵の白壁がきれいな風景、中山道・妻籠宿です。
JUGEMテーマ:写真

 町並み保存運動のはじまり(妻籠宿案内図より)
 時代がかわり明治になり鉄道や道路が新たにつくられ、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。 やがて昭和になり経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、ここに全国に先駆けて保存運動が起こったのです。
 妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を 「売らない・貸さない・壊さない」 という3原則をつくり、ここで生活をしながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えているのです。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:01 | comments(2) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その8 妻籠宿(1) 鯉岩
妻籠宿-1
ツアー一行は、馬籠宿の見学を終え、妻籠(つまご)宿へ向かいます。
妻籠宿-2
これより妻籠宿がある南木曽(なぎそ と読みます)町に入ります。 しかもここは標高801mの馬籠峠の頂上です。 馬籠宿は岐阜県中津川市馬籠にありますが、妻籠宿は長野県木曽郡南木曽町妻籠にあります。 岐阜県と長野県の県境です。
妻籠宿-3
妻籠宿の案内図です。 約1kmにわたる宿場町です。
妻籠宿-4
 重要伝統的建造物群保存地区 南木曽町妻籠宿保存地区の掲示版です。
 選定年月日 昭和51年9月4日 選定理由 妻籠宿は、宿場の建造物を中心に旧中山道に沿った在郷および周囲の自然環境が一体となって、歴史的風致を形成しており、江戸時代の宿場の姿をよく伝えている。
 説明 妻籠宿は室町時代末期には、すでに宿場として成立していたと考えられ、慶長7年(1602)幕府が中山道に69宿を定めたとき、妻籠もその一つとなった。
 保存地区は東西約3.8km、南北約5.5km、面積約1,245.4haで地区内に233棟の伝統的建造物があり、地域的に宿場、寺下、在郷の三地区に分けられる。
 宿場は、上、中、下町を中心とし、本陣、脇本陣、問屋がおかれた。 建物は出梁により二階を張り出した切妻造平入が特徴で、江戸時代末期から明治にかけて再建されたものが多く、大規模な建物が多い。
 寺下は光徳寺の門前町の形態をなし一般に間口が狭く建物が小規模である。 在郷には旧中山道に面した町家風の建物と附近に点在する農家がある。
 妻籠宿では、昭和43年から町並保存事業が行われ、53棟の復原を完了し、今後長期にわたり整備を行う予定である。
 宿場保存の中心は住民の総意で宣言した「妻籠宿を守る住民憲章」といえよう。
                 昭和52年3月 文部省 南木曽町
妻籠宿-5
水路に流れる水がきれいです。
妻籠宿-6
宿場町には 「水車小屋」 が似合います。
妻籠宿-7
口留(くちどめ)番所跡 江戸時代の初期、このあたりに口留番所があって、中山道を行く人々を監視していた。 従来、この口留番所は、江戸時代の早い時期に廃止されたという見方が強かったが、最近発見された正保3年(1646)と推定される史料に、「妻子(籠)御関所」と記されていることから、少なくとも17世紀中頃までは妻籠に口留番所があったことが確認された。
 なお妻籠には、下り谷その後一石栃(いちこくとち)に木材を取締ることを目的とした白木改(しらきあらため)番所が、近世を通じて設置されていた。
妻籠宿-8
鯉岩(こいいわ)。 中山道三名石の一つでしたが、明治24年、濃尾大地震で頭の部分が落ち、形が変わってしまいました。(町 名勝)
妻籠宿-9
鯉岩の由来が書かれています。
妻籠宿-10
掲示板の下に表示されている絵が気になりHPで調べてみました。その結果 「鯉岩」 と書かれたこの絵が見つかりました。 この絵を見る限り鯉にそっくりな岩です。
妻籠宿-11
復原された 「妻籠宿 大吉」 です。
妻籠宿-12
妻籠宿-13
南木曽町有形文化財 「熊谷家住宅」 です。
妻籠宿-14
高札場(こうさつば) 今日でいう 「官報掲示板」 で、江戸時代の姿を復元しました。 幕府が庶民に対し、禁制や法度等を示したものです。 お上のご威光そのままに、人々を見おろすように高札が掲げられています。(妻籠宿案内図より)
JUGEMテーマ:写真

 ツアー一行は、バスで約20分、馬籠宿から7.6km、馬籠峠を越えたところにある妻籠宿にやってきました。 歴史のおもかげを残す宿場町です。 江戸と京を結ぶ中山道、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともよばれていました。 中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目となる妻籠宿は、中山道と伊那道の交叉する交通の要衝として古くからにぎわいをみせていました。(妻籠宿案内図より)
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 20:29 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その7 馬籠宿(7) 馬籠散策
馬籠宿-1
上陣場に立つ案内板、これから観光する 「妻籠宿」 は7.6Km先です。
馬籠宿-2
浮世絵に描かれた 「木曽街道六十九次の内 第四十三次の馬籠宿」
馬籠宿-3
黄色い花がきれいに咲いています。
馬籠宿-4
上ってきた街道を再び下入口まで下ります。
馬籠宿-5
かなりの下り坂です。
馬籠宿-6
手づくりの土産屋さんです。
馬籠宿-7
街道の両側には、お店が並びます。
馬籠宿-8
窓の格子に飾りがきれいです。
馬籠宿-9
「藤村いろは歌留多」 がアレンジされています。 (き)菊の風情、朝顔のこころ。
藤村いろは歌留多は島崎藤村・作、岡本一平・画により、昭和2年(1927年)、実業之日本社から発行された 「いろはかるた」 です。
(い)犬も道を知る (ろ)櫓は深い水、棹は浅い水 (は)鼻から提灯 (に)鶏のおはやうも三度 (ほ)星まで高く飛べ (へ)臍も身の内 (と)虎の皮自慢 などがあります。
馬籠宿-10
脇本陣に梅の花が咲いています。(3月20日撮影)
馬籠宿-11
下入口に向かって進みます。大勢の観光客で賑わっています。
馬籠宿-12
宿場の中程にある 「馬籠観光案内所」 です。 色々教えてくれます。
馬籠宿-13
馬籠郵便局です。
馬籠宿-14
馬籠宿-15
坂道の脇を流れる水路に設けられた簡易分水器、木と竹でできています。 水路の水を枡に受け横の池と下流に分水しています。 素晴らしいアイデアです。
馬籠宿-16
街道脇の小さな池で鯉が元気に泳いでいます。
馬籠宿-17
宿場の中にこんな洒落た 「茶房土蔵」 があります。
馬籠宿-18
「道祖神」でしょうか、街道の悪霊を防いで旅人を守護しているようです。
馬籠宿-19
下入口に帰ってきました。馬籠宿案内図の裏面に書かれている 「保存憲章」 です。
馬籠は藤村のふるさとであり江戸の名残りを停める、古い街道であります。
優れた自然環境と古い文化的遺産を保存し 「観光俗化」 を防ぐため、地元民の総意により 「保存憲章」 が制定され、固く守られています。 皆様のご理解とご協力をお願い致します。
            記
 一、風致の保全を損う施設を設けないこと。
 一、外部資本による俗化を防ぐため、地域外者の商行為を一切認めないこと。
 一、広告、宣伝ポスター類の掲示、宣伝カーなどの乗り入れを認めないこと
 一、道路に空カン、紙クズ等捨てないこと。
 一、旅館、民宿、飲食店等は午後十時までに閉店すること。
 一、のき先販売は絶対にしないこと。
 一、路上駐車をしないこと。
中山道馬籠地区風致保存委員会
馬籠宿-20
もう一度、馬籠宿。 石畳の坂道が約600m 続きます。
馬籠宿-21
観光バスの待つ 「馬籠館」 です。
JUGEMテーマ:写真

 馬籠宿を散策して分かることは、路上駐車もなく、客引きも一切なく、清潔感が漂う観光地です。 保存に関する決議や地元民の総意により制定された 「保存憲章」 が固く守られている証です。 今回で馬籠宿の写真展示を終え、次の観光地・妻籠宿を写真展示しますので見て下さい。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 20:37 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その6 馬籠宿(6) 上陣場
馬籠宿-1
「高札場」 より少し上がると、見晴しの良い場所に出ます。
馬籠宿-2
海抜653mの 「馬籠上陣場」 です。
馬籠宿-3
真正面に、海抜2192mの 「恵那山」 を眺望することができます。
馬籠宿-4
ここには一休みできる休憩所もあります。
馬籠宿-5
休憩所に掲示されている案内板です。 ・・・・・馬籠城は、馬籠宿の南西の入口荒町の中程左手の小高い所にあった。 木曽義昌が島崎重通(島崎藤村の祖)に守らせたが、徳川三武将に攻められ妻籠城に逃れた。その後の後、島崎重通が馬籠をひらいたといわれる。・・・・・・
馬籠宿-6
上陣場に建立されている 「島崎藤村の碑」 です。
馬籠宿-7
碑面の文章が休憩所に掲示されています。
馬籠宿-8
この掲示板には島崎藤村 「夜明け前」 の一節が書かれています。
馬籠宿-9
越県合併記念碑 古代、東国、西国と呼ばれた時代以来、木曽を含むこの地は美濃の国(岐阜県)でありましたが、信濃の国(長野県)より京へ上る道として利用が増すにつれて信濃の国の地となり約400年を経過して、昭和の合併昭和33年10月14日(1958年)、平成の合併平成17年2月13日(2005年)により目の前の恵那山と同じく足元のこの地も岐阜県中津川市馬籠となりました。
 『あの山の向こうが中津川だよ美濃は好い国だねえ!』 島崎藤村−夜明け前より
馬籠宿-10
馬籠宿-11
この歌碑は島崎藤村の父 正樹翁(天保2・1831―明治19・1886)の自筆(掛物 槌馬屋資料館所属)の長歌と反歌を刻したものです。
馬籠宿-12
「中山道馬籠地区保存に関する決議」 が掲示されています。
JUGEMテーマ:写真

 「中山道馬籠地区保存に関する決議」 には次のように書かれています。(抜粋)
 島崎藤村の生地である馬籠は、藤村文学のふるさとであり、牧歌的な自然環境をほこる観光ルートでもある。
 我々は貴重な自然環境と、文豪の生地にふさわしい品格を永く保持すると共に、長い歴史の重みに耐えた宿場の面影を後の世の人に引き継ぐ責務を痛感する。
 そして、その文化的価値と観光資源を地域の産業振興に結びつけ、将来の発展に備えるため、ここに保存に関する基本方針を策定する。

 その内容は、・・・(1)外部資本の侵入による破壊を防止するため、建物、宅地、農地、山林等を 「売らない、貸さない」 ことを原則とする。 (2)風致の保全をそこない、又は保存に悪影響を及ぼす施設を設けないこと。・・・・(4)建物の修繕、新築、改築等に用いる色彩は、黒又は黒かっ色を使用すること。・・・・(6)沿道の清掃と家周辺の整理整とんに努め、空びん、ドラムカンなどは放置しないこと。 (7)温水機、プロパン容器などは、外部から見通し難い所に格納すること。 ・・・など、かなり細部にわたって決議されています。

 中山道馬籠地区の皆さんの保存活動に敬意を表します。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 20:20 | comments(0) | - |
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