質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 和歌山の旅 その51 和歌浦散策 番所庭園
    miya (11/14)
  • 和歌山の旅 その51 和歌浦散策 番所庭園
    k-matsui (11/11)
  • 滋賀・長浜と彦根の旅 その55 清涼寺(彦根市)
    miya (10/29)
  • 滋賀・長浜と彦根の旅 その55 清涼寺(彦根市)
    五島 (10/26)
  • 小京都 人吉の旅 その19 犬童球渓
    miya (10/10)
  • 小京都 人吉の旅 その19 犬童球渓
    花田 淳 (10/09)
  • 坂本・比叡山延暦寺の旅 その9 庭園が美しい 「旧竹林院」
    上畑ナオミ (08/16)
  • 坂本・比叡山延暦寺の旅 その9 庭園が美しい 「旧竹林院」
    miya (08/09)
  • 坂本・比叡山延暦寺の旅 その9 庭園が美しい 「旧竹林院」
    上畑ナオミ (08/08)
  • 小京都 佐野の旅 その16 佐野市観光物産会館
    miya (02/15)
LINKS
PROFILE
東京・下目黒散策 その6(完) 目黒雅叙園
目黒雅叙園-1
「目黒雅叙園」 のモダンな建造物。
目黒雅叙園-2
左上に旧木造館の一部が見えます。
目黒雅叙園-3
建物の中央にある入口。 これより見学します。
目黒雅叙園-4
 入口を入ると直ぐ左側にエレベーター。 これより先は有料です。 もちろん撮影も禁止です。 目黒雅叙園とは、昭和の龍宮城と呼ばれた絢爛豪華な建物です。 「百段階段」をはじめ、「十畝(じっぽ)の間」「漁礁(ぎょしょう)の間」「星光(せいこう)の間」などの保存建築は都の指定有形文化財に指定されている貴重なものが見学できます。
目黒雅叙園-5
入口を右側に進むと、レストラン・結婚式場・宴会場などへ向かう 「回廊」。
目黒雅叙園-6
目黒雅叙園-7
回廊には、きれいなディスプレーが来訪者を楽しませてくれます。
目黒雅叙園-8
招きの大門、龍宮城への誘いの道です。
目黒雅叙園-9
回廊の途中にある、絢爛豪華な一億円のトイレです。
目黒雅叙園-10
階上へ向かう階段・エレベーター・エスカレーター。
目黒雅叙園-11
目黒雅叙園-12
豪華な二階宴会場の景観。
目黒雅叙園-13
二階部分から見たレストランの風景。
目黒雅叙園-14
くつろぎの場、屋外庭園。
目黒雅叙園-15
鯉が泳ぐ池、水が落ちる滝、屋外に造られた豪華な庭園。
JUGEMテーマ:写真

 東京・下目黒散策、最後に 「目黒雅叙園(めぐろがじょえん)」 を撮影してきました。 
 当初、目黒雅叙園のイメージは、古風な日本建築を想像していたのですが、建物全体がモダンな建築で驚きました。 ただ、旧木造館に残る百段階段や保存建築では、樹齢百年の床柱や天井、壁面、ガラス窓にいたるまで贅を凝らした、昭和初期の素晴らしい建築芸術が見れます。 今の時代では造れないのではないかと思えるほど貴重なものです。 一度は見ておきたいお勧めの文化財です。(完)
| 東京見物ぶらり旅 | 20:49 | comments(0) | - |
東京・下目黒散策 その5 目黒不動尊(3) 大本堂
目黒不動尊-1
入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂、瀧泉寺(目黒不動尊)大本堂。
目黒不動尊-2
昭和56年(1981)再建の鉄筋コンクリート造建築。
目黒不動尊-3
目黒不動尊-4
軒にさがる大提灯。
目黒不動尊-5
境内に建つ災厄除 「護衛不動尊」。
目黒不動尊-6
縁結び 良縁成就 「愛染明王」。
目黒不動尊-7
「大日如来像」 大本堂の背後にある露座の銅製仏像。 膝前で印を結ぶ胎蔵界大日如来像で、天和3年(1683)の作。
目黒不動尊-8
前面の満開の桜が美しい 「鐘楼堂」。
目黒不動尊-9
目黒不動尊-10
大本堂両サイドに咲く満開の桜がきれいでした。(4/9撮影)
JUGEMテーマ:写真

 目黒不動尊の境内は仁王門などが建つ平地と、大本堂の建つ高台の二段に造成されています。仁王門をくぐっると正面に大本堂へ至る急な石段があります。 目黒不動尊の最後は、高台にある大本堂とその周辺を写真展示します。
| 東京見物ぶらり旅 | 19:00 | comments(0) | - |
東京・下目黒散策 その4 目黒不動尊(2) 独鈷の滝
目黒不動尊-1
仁王門をくぐると左手に 「独鈷の滝」 があります。
目黒不動尊-2
「独鈷の滝」 の全景。
目黒不動尊-3
二つの龍の口から水が流れ出ています。
目黒不動尊-4
垢離堂
目黒不動尊-5
「独鈷(とっこ)の滝」 の由来。
目黒不動尊-6
水かけ不動。
目黒不動尊-7
 当山の開基は天台座主第三祖慈覚大師円仁(えんじん)で、一千二百余年前の大同三年(808)大師自ら御本尊を彫刻し安置されたことに創まります。
 天安二年、大師が法具 『独鈷(とっこ)』 を投げて堂宇造営の敷地を卜されたところ、泉が忽ち湧出。 涸れることのないその瀧泉は 『独鈷の瀧』 と称されました。
 大師はお堂の棟札に、「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久」 と認め 「瀧泉寺」 と号され、 「泰睿」 の勅願を賜りし清和の御代に 「泰叡山」 が山号と定められました。 春に花、夏瀧しぶき、秋紅葉、冬積もる雪と、関東最古の不動霊場は四季折折の風情が輝き、善男善女の心に安らぎをもたらします。
 『独鈷の瀧』 は不動行者の水垢離場となり、江戸幕末には西郷南洲翁が薩摩藩主島津斉彬公の当病平癒を祈願されました。

  目黒不動尊御詠歌
       清らけき 目黒の杜の独鈷瀧 災厄難を除ける不動尊

 ここに、身代りで瀧泉に打たれてくださる 「水かけ不動明王」 が造立され、より清らかな心と身で目黒のお不動さまに参詣できることとなりました。
 合掌礼拝して 『独鈷の瀧』 の霊水をかけ、洗心浄魂されて、大慈大悲の不動明王と大願成就のご縁をお結びください。 目黒不動尊別当 大叡山 瀧泉寺
目黒不動尊-8
東京都指定有形文化財(建造物) 滝泉寺前不動堂(りゅうせんじまえふどうどう)。
目黒不動尊-9
 滝泉寺前不動堂(都指定有形文化財 指定;昭和41年3月31日)
 泰叡山滝泉寺は、通称 「目黒不動尊」 と呼ばれており、大同3年(808)、慈覚大師円仁の創建と伝えられる天台宗の寺院です。 境内にある前不動堂は、江戸時代中期の建築になり、『江戸名所図会』 にも、現在地付近に 「前不動」 として図示されています。 前不動堂は、滝泉寺本堂手前の男階段左下にある、独鈷の滝の左崖下に建立され、堂内には木造不動明王三尊立像等を安置してあります。 江戸時代中期の仏堂建築として、比較的良く往時の姿を保っています。 建造物と併せて、扁額 「前不動」 も附として指定されています。 この扁額には 「佐玄龍書」 の署名があり、堂建立当時のものと推測されています。 筆者の佐々木玄龍は、通称万二郎、池庵を号していました。 慶安3年(1650)、江戸に生まれ、書風一家をなし、享保7年(1772)に亡くなり、墓標は青山霊園にあります。 平成22年3月 建設 東京都教育委員会
目黒不動尊-10
瀧泉寺勢至堂(りゅうせんじせいしどう)。
目黒不動尊-11
 瀧泉寺勢至堂 区指定文化財(昭和59年3月31日指定) 下目黒 3-20-26
 瀧泉寺勢至堂は江戸時代中期の創建とみられ、勢至菩薩像が安置されています。建築各部にわたって後世の改変が甚だしいですが、全体的な形姿や細部絵様に優れた意匠の特質を保存しており、その姿に寛永中興期の瀧泉寺の面影を残しています。
 向かって右の前不動堂(都指定文化財)との関連をみると、勢至堂は前不動堂より建築意匠上の格は低いものの、細部に類似性が見られることから、勢至堂は前不動堂の建立からそれほど時間のたたない内に、前不動堂を意識して造営されたと推察できます。
 現在の場所は創建当初からのものではなく、以前は前不動堂の前方にありましたが、昭和44年に行われた前不動堂の修理後に移されました。今では南斜面の緑の中に溶け込み、瀧泉寺境内の優れた景観を形成しています。 目黒区教育委員会
目黒不動尊-12
境内に建つ、童謡の父 作曲家 本居長世(もとおりながよ)の碑。 「十五夜お月さん」の五線譜が彫られています。 明治18年(1885)―昭和20年(1945) 享年60歳。
目黒不動尊-13
 童謡は第一流の詩人が子供のために詩を書き第一流の音楽家が曲を付けた世界に誇る日本の児童文化財です。 本居長世は音楽学校で中山晋平、弘田龍太郎を教えるかたわら 「七つの子」 「青い目の人形」 「赤い靴」 「めえめえ小山羊」 「お山の大将」 のような作品を自身作曲して世に送りました。 ことに大正九年、野口雨情の詩に作曲した 「十五夜お月さん」 はいかにも日本的な旋律に変奏曲的な伴奏を配したもので、この種の先駆的作品として重んじられました、本居はこれらの曲を作ったころ、この目黒不動のすぐ隣に住んでおり、月の夜この寺の境内を散歩しながら想を練ったことでしょう。 今ここに氏の曲の碑を建てて、氏の功績を記念したいと思います。
                       本居長世を慕う会 童謡の里めぐろ保存会
目黒不動尊-14
境内に建つ 「甘藷先生記念碑」。 甘藷先生とは、青木昆陽を親しんで呼ぶ称です。 瀧泉寺墓地に甘藷先生墓があります。
JUGEMテーマ:写真

 目黒不動尊の境内は、仁王門などの建つ平地と、大本堂の建つ高台の二段に造成されています。 まず仁王門の建つ平地を散策し撮影しました。 仁王門をくぐると左手に 「独鈷の滝」、その左へ進むと、前不動堂、甘藷先生碑、勢至堂、本居長世碑などを見ることができます。

 【ミニ知識】 青木昆陽(あおきこんよう)・・・広辞苑より
 江戸中期の蘭学者。 名は敦書(あつのり)、通称文蔵。 江戸の人。 伊藤東涯(とうがい)に学んだ。 幕府の書物奉行。 救荒作物として甘藷(かんしょ;サツマイモのこと)栽培をすすめ、「蕃藷考」 を箸す。 没後、甘藷先生と称。(1698~1769)
| 東京見物ぶらり旅 | 20:41 | comments(0) | - |
東京・下目黒散策 その3 目黒不動尊(1) 仁王門と満開の桜
目黒不動尊-1
瀧泉寺(りゅうせんじ)、通称 「目黒不動尊」 の仁王門。
目黒不動尊-2
 瀧泉寺(目黒不動尊) 下目黒 3-20-26
 天台宗泰叡山(たいえいざん)瀧泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称 「目黒不動尊」 と呼び親しまれています。
 江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受けました。 また、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地となり、門前町とともに大いに賑わいました。 さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中の感応寺と並んで 「江戸の三富」 と称されました。
 境内の古い建物は、戦災でその大半が焼失しましたが、「前不動堂」(都指定文化財) と 「勢至(せいし)堂」(区指定文化財) は災厄を免れ、江戸時代の仏堂建築の貴重な姿を今日に伝えています。 その他、境内には 「銅造役の行者倚(ぎょうしゃい)像」、「銅造大日如来坐像」(ともに区指定文化財) があり、仁王門左手の池近くには 「山手七福神」 の一つの恵比寿神が祀られています。
 裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には甘藷(かんしょ)先生として知られる青木昆陽の墓(国指定史跡)があります。
目黒不動尊-3
目黒不動尊 境内案内図
目黒不動尊-4
目黒不動尊-5
仁王像
目黒不動尊-6
仁王門から見る境内の風景、正面の石段を上がると「大本堂」へ。
目黒不動尊-7
目黒不動尊-8
境内の桜が満開です。(4月9日撮影)
目黒不動尊-9
目黒不動尊-10
目黒不動尊-11
枝垂れ桜もきれいです。
目黒不動尊-12
阿弥陀堂。 瀧泉寺の本坊、阿弥陀三尊(観音・勢至・阿弥陀)が祀られています。
目黒不動尊-13
観音堂。 江戸三十三観音霊場の結願札所。 慈悲の仏様である、聖観音、千手観音、十一面観音の三観音が祀られています。
JUGEMテーマ:写真

 今回の東京・下目黒散策で、最大の目的は 「目黒不動尊」 の参拝と撮影です。 「目黒」 の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もあります。 広大な境内は、仁王門などが建つ平地と、大本堂の建つ高台の二段に造成されています。 撮影した当日は晴天で、空の青、仁王門の赤、満開の淡い桜の色が最高のコントラストでした。
| 東京見物ぶらり旅 | 20:00 | comments(0) | - |
東京・下目黒散策 その2 天恩山 五百羅漢寺
五百羅漢寺-1
天恩山 五百羅漢寺入口。
五百羅漢寺-2
 不退法尊者(ふたいほうそんじゃ)
 苦しさに負けず いつも心あかるく 最善を盡(つく)す
五百羅漢寺-3
 五百羅漢寺 下目黒 3-20-11
 天恩山五百羅漢寺は、元禄8年(1695)鉄眼禅師を開山として江戸本所(現、江東区大島)に創建された黄檗(おうばく)宗の寺でした。 当時、境内には「さざい堂(三匝堂)」という建物があり、内部が螺旋(らせん)階段になっていて、一堂に諸仏像を拝観できると人気を博しました。 明治41年(1908)ここ下目黒の地へ移り、現在は浄土系単立の寺です。
 本堂および回廊に安置されている五百羅漢像等はそのほとんどが松雲元慶(しょううんげんけい)禅師が各方面から寄進を受け、十余年かけて自ら彫刻したものです。 木造釈迦三尊及び五百羅漢等像の305体の像(都指定文化財)は、それぞれ姿の違った人間像として巧みに表現されており、しかもこのような大型の像が多量かつ一堂に安置されていることは珍しく、近世彫刻史上注目すべき貴重なものです。
 書院屋上にある梵鐘は安永3年(1774)田中丹波守藤原重行作で、他にあまり類例のない特徴を持ち、国の重要美術品の認定を受けています。
                         平成21年3月 目黒区教育委員会
五百羅漢寺-4
 都 重 宝 木造釈迦如t来坐像及び五百羅漢等像
 所在 目黒区下目黒三丁目二〇番一一号 羅漢寺
 指定 昭和四十五年八月三日
 目黒の五百羅漢として著名なこれら仏像群は現在三〇五体を数える。作者は松雲元慶で元禄時代の製作である。
 元慶(1648―1710)は京都に生まれ豊前耶馬渓の羅漢寺石造五百羅漢像に触発され貞享年間(1684―88)江戸浅草寺の支院に身を寄せて彫刻をはじめた。 十有余年を経て本尊釈迦如来像をはじめ五百余体を完成、師 鉄眼を開山に天恩山羅漢寺を大島村(現 江東区)に建立した。 のち本所緑町(現 墨田区)に転じ明治四十二年さらに目黒の現在地に移転した。昭和五十六年五月五日再興され、歴史的遺産が保存されることになった。      昭和五十六年八月六日建設 東京都教育委員会
五百羅漢寺-5
色々な表情を持つ大型の羅漢像305体が羅漢堂・本堂に安置されています。 写真は撮影禁止のため、リーフレットの写真を引用させてもらいました。
五百羅漢寺-6
五百羅漢寺-7
コの字型に造られた 「羅漢堂」。
五百羅漢寺-8
奥へ進むと本堂があります。 右にある石像は 「再起地蔵尊」。 失意の人の再起の願いを叶えてくれるお地蔵さま。 身丈3.5m、おだやかな顔でお参りの人に気力と勇気を与えてくれます。
五百羅漢寺-9
 碑のこみち 手前の碑は 「包魂(ほうこん)の碑」。
 魚の形をした自然石のこの碑は、昭和47年9月、魚鳥供養のため協和調理師会有志一同により建立されたものです。 碑の内部には調理師会の元老、故原勇蔵氏が愛用していた包丁が納められています。(案内板より)
五百羅漢寺-10
本堂 本尊釈迦如来とその弟子である羅漢さんが一堂に会した本堂です。 お釈迦さまが説法されている光景が再現されています。
JUGEMテーマ:写真

 天恩山五百羅漢寺は、元禄8年(1695)に江戸の本所に建立された由緒ある名刹で、徳川五代将軍綱吉さらに八代将軍吉宗の援助を得て繁栄を誇り「本所のらかんさん」として江戸の人々から親しまれました。
 当山の五百羅漢像などの諸仏像(現存305体)は松雲元慶禅師の手によって十数年(貞享~元禄)の辛苦の末に彫造された大群像(536体)で、江戸期を代表する木彫として東京都重要文化財に指定されています。
 しかし明治維新以来、寺運は衰退し、明治41年に目黒に移ってからも大正・昭和と、羅漢像はやっと雨露をしのぐほどの状態が続きました。
 そして昭和54年、由緒ある羅漢さんを救うべく日高宗敏貫主によって再建計画が立てられ、多くの苦難をのりこえて、昭和56年、現在の近代的なお堂が完成し、名実ともに 「目黒のらかんさん」 として甦ったのです。 (天恩山五百羅漢寺リーフレット縁起より引用)

 海福寺のすぐそば、目黒不動尊参道前より徒歩1分のところにある 「天恩山五百羅漢寺」、小奇麗なお寺です。 いろいろな表情をもつ羅漢さん大切な教えを語りかけてくれます。 一度は参拝したいお勧めのお寺です。
| 東京見物ぶらり旅 | 19:47 | comments(0) | - |
東京・下目黒散策 その1 海福寺
海福寺-1
海福寺(かいふくじ) 入口参道
海福寺-2
海福寺-3
 海福寺 下目黒3-20-9
 明から来朝した隠元隆(いんげんりゅうき)が万治元年(1658)に江戸深川に開創した黄檗(おうばく)宗の寺でしたが、明治43年(1910)に現在地へ移転しました。
 本尊は釈迦牟尼仏で、他に四天王像や隠元禅師の像、木造阿弥陀如来立像(区指定文化財)が安置されています。 木造阿弥陀如来立像は彫刻技法の特徴などから12世紀頃に京都あるいはその周辺で制作されたものと考えられ、都内に現存している希少な例です。
 山門の赤い四脚門(よつあしもん 区指定文化財)は明治後期に新宿区上落合の泰雲寺(現在は廃寺)から移建したものです。 山門左手前の 「文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑」(都指定文化財)は文化4年(1807)の深川富岡八幡大祭の時に起こった、永代橋崩落事件の死者供養のために建てられたものです。
 また境内の梵鐘(都指定文化財)は天和3年(1683)武州江戸中村喜兵衛藤原正次の作で、中国の鐘の形式に似ながら日本の古鐘の形式に範をとるという特異な考案によるもので、江戸時代の梵鐘中でも類例の少ない遺品です。
海福寺-4
文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑
海福寺-5
文化四年八月十九日深川八幡の祭礼の時人出のため永代橋が落ち数百人の人々が水死しました。 その霊を供養するため木場の人々が建立した供養塔です。
これは昔は大変有名な事件で歌舞伎では黙阿弥作 「八幡祭望月賑;はちまんまつりよみやのにぎわい」 落語では粗忽者の武兵衛が水死者に間違えられた自分の遺体を確認に行くという 「永代橋」 の素材となっています。
海福寺-6
 東京都指定有形文化財(歴史資料)
 文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑 二基
 所在地 目黒区下目黒3-20-9 海福寺
 指  定 平成3年3月8日
 文化四年(1807)八月の江戸深川富岡八幡宮の大祭は、11年ぶりに催されたため大変な賑わいであった。 当日、人びとは永代橋を渡って深川にやって来たが、その折、永代橋が崩落し多数の溺死者を出すという江戸はじまって以来の大惨事が発生した。 この供養塔及び石碑は、その落橋事件の溺死者の百日忌・五十回忌・七十七回忌・九十一回忌の折に、深川寺町通り(現・江東区深川二丁目付近)にあった海福寺境内に建立された。 溺死者440名とも言われた空前の大惨事を、江戸市民がどのように受けとめ後世に伝えていたかを明らかにすることができる都内における唯一の資料である。 海福寺は、明治四三年(1910)目黒区下目黒3丁目の現在地に移転したが、これら供養塔もそのとき一緒に移設され、現在に至っている。 
                 平成4年3月31日 建設 東京都教育委員会
海福寺-7
海福寺山門の赤い四脚門
海福寺-8
四脚門前に立つ掲示板
海福寺-9
 本 堂
海福寺-10
海福寺-11
 東京都指定有形文化財の梵鐘
海福寺-12
武田信玄の屋形に置かれてあったと伝えられる九層の塔(江戸名所図絵より)
海福寺-13
海福寺-14
境内には、白い椿が咲いています。
海福寺-15
四脚門に彩りを添える満開の桜がきれいです。
JUGEMテーマ:写真

 4月9日、目黒川の桜を撮影後、下目黒界隈を撮影してきました。 まず参拝したのは海福寺です。 小さな寺院でしたが、歴史を感じます。 今から遡ること205年前の文化四年(1807)に四百余名の尊い命が失われた永代橋の崩落事件、この教訓は未来永劫忘れてはなりません。 
| 東京見物ぶらり旅 | 19:24 | comments(0) | - |
2012年春 東京・目黒川の桜 満開!
目黒川の桜-1
目黒川の桜、日の出橋から上流を撮影(4月9日撮影)
目黒川の桜-2
目黒川の桜-3
日の出橋に掛けられた横断幕。
目黒川の桜-4
田楽橋の袂に咲く満開の桜。
目黒川の桜-5
目黒川の桜-6
田楽橋から見る目黒川の桜。
目黒川の桜-7
目黒川に沿って散策路が整備されています。
目黒川の桜-8
目黒川の桜-9
川沿いの美しい桜街道。
目黒川の桜-10
満開の美しさに感動です。
目黒川の桜-11
目黒川の桜-12
目黒川の桜-13
目黒川の桜-14
清楚な桜の花に心が和みます。
目黒川の桜-15
花見の時期は、遊覧船も運行されています。
目黒川の桜-16
太鼓橋より見る上流の桜、見える橋は 「目黒新橋」 です。
目黒川の桜-17
太鼓橋より見る目黒川の桜。 中央の高い建物は 「目黒雅叙園」 です。
JUGEMテーマ:写真

 絶好の行楽日和に恵まれた4月9日、東急東横線中目黒駅下車、直ぐ傍を流れる目黒川の桜を撮影してきました。 目黒川に架かる 「日の出橋」 から下流に向かって 「亀の甲橋」 までの川沿いの桜、いずれも満開の桜を撮影することができました。
 目黒川は東京都世田谷区三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぐ、延長7.82kmの二級河川です。 目黒区の辺り約3.8kmの川沿いの両岸に、約800本の桜が咲き競います。 花見の時期には多くの見物客でにぎわう、東京の桜の名所です。
| 東京見物ぶらり旅 | 19:00 | comments(0) | - |
上野公園 西郷隆盛像
西郷隆盛像-1
上野公園に立つ 「西郷隆盛像」
西郷隆盛像-2
像の台座の取り付けてある掲示版。
西郷隆盛像-3
 銅像の左側に立つ案内板。
 敬天愛人(けいてんあいじん) 「天を敬(うやま)い、人を愛する」
 西郷隆盛と銅像の由来
 西郷隆盛は文政10年(1827)12月7日薩摩藩士として鹿児島加治屋町に生まれた。 通称吉之助、南洲はその号である。 若くして、藩主島津斉彬に重用され、幕末内外多難の際、大いに国事に奔走したが、これに関連して奄美大島に流されること二回。 元治元年(1864)許されて京都に上るや、朝廷の意を重んじて一旦は長州を敵としたが、後、木戸孝允と謀って薩長連合を結成し、慶応3年(1867)12月ついに王政復古の大業を成就、その後も官軍の参謀として、大功を樹て、明治維新の基礎を確立した。 その間、高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟等の請を容れて江戸城の無血開城を実現、江戸を戦禍から救ったことは余りにも有名である。 その後は、故郷に退隠したが、明治4年(1871)正月、三条実美以下新政府首脳の懇請を受けて上京、参議に就任し、廃藩置県その他近代国家建設のための主動的役割を果した。 然るに、明治6年6月いわゆる征韓論が閣議に上るや断乎反対して、大使派遣による平和的修交を主張し、その決定を見るに至ったが、後欧米出張から帰国し、内治優先論を固執する岩倉具視、大久保利通等の反対に敗れて辞官帰郷。 私学校を興して後進青年の育成に務めた。 明治10年2月当局者の謀に激した私学校生徒に擁せられて西南の役となり、転戦七ヵ月余、ついに敗れて城山に自刃した。 9月24日、享年51才。 そのため一時逆賊とされたが、明治22年2月、明治天皇の特旨により賊名を除かれ、正三位を追贈された。この銅像はこれに感激した隆盛の旧友、吉井友美が、同志と共に追慕の情を表すべく建立を計画したものであり、御下賜金のほか有志2万5千人の醵金(きょきん)を得て、明治26年起工、同30年竣工、我が国彫刻界の巨匠高村光雲の作である。 西郷隆盛の偉大な功業は、その信条たる敬天愛人の精神に発した仁愛と至誠没我の所産であり、日本の代表的偉人として今なお、敬慕される所以は実にここに在るのである。
西郷隆盛像-4
西郷隆盛像-5
草履ばき着流しの散歩姿で愛犬とともに立つ西郷隆盛。
上野恩賜公園案内図
上野恩賜公園案内図、西郷隆盛像は公園右上の白文字の位置に建立されています。
JUGEMテーマ:写真

 今回、上野公園(正式には上野恩賜公園)に出掛けたのは、満開の桜と西郷隆盛像の撮影です。 この西郷隆盛像は東京三大銅像の一つに数えられています。
 東京三大銅像とは、東京都にある19世紀末に建立された以下の3体の銅像を指します。
    ●靖国神社の 「大村益次郎像」(1894年)
    ●皇居外苑の二条城近くにある 「楠正成像」(1897年)
    ●上野恩賜公園の 「西郷隆盛像」(1898年)   
                     (フリー百科事典・ウィキペディアより)

 今回の撮影で、「東京三大銅像」 の全てを写真展示することができました。
| 東京見物ぶらり旅 | 21:06 | comments(0) | - |
2012 春本番!上野公園の桜が満開
上野公園-1
上野公園-2
上野公園・清水観音堂付近、枝垂れ桜がきれいです。
上野公園-3
一際目立つピンク色の桜の花が満開です。
上野公園-4
上野公園-5
上野公園・桜通りの桜が満開! 大勢の花見客で人の流れが途切れません。
上野公園-6
新緑の枝垂れ柳越しに見る満開の桜がきれいです。
上野公園-7
満開の桜の下で宴会です。
上野公園-8
 駅伝の碑 駅伝の歴史ここに始まる
 我が国、最初の駅伝は、奠都(てんと;都を定めること)五十周年記念大博覧会 「東海道駅伝徒歩競走」 が大正六(1917)年四月二十七日、二十八日、二十九日の三日間にわたり開催された。 スタートは、京都・三条大橋、ゴールはここ東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。
上野公園-9
満開の桜と記念撮影。
上野公園-10
上野公園-11
不忍池(しのばずのいけ)を一周して桜を撮影。
上野公園-12
上野公園-13
ボート池で春を満喫する家族連れや恋人たち。
上野公園-14
風もなく暖かい春の日差しを浴びて春本番を満喫!
JUGEMテーマ:写真

 TV報道やHPで東京の桜の満開を知り、昨日(4/9)、上野公園や目黒川の桜を撮影してきました。 渋谷駅から東横線で二つ目駅・中目黒下車、目黒川沿いの桜、目黒不動、目黒雅叙園などを撮影してきました。 いずれも満開の桜がきれいでした。 
| 東京見物ぶらり旅 | 19:50 | comments(0) | - |
東京観光ぶらり旅 その8 夢の島熱帯植物館(8/完)
タコノキ
小笠原固有種 「タコノキ」 小笠原諸島が原産です。マツカサのような実をつけます。 タコの足のように見えるのは気根と言い、地面に向かって何本も伸びて、植物を支える役割を果たします。 雌雄異株で、果実は食べられます。(掲示板より)
光るキノコ-1
光るキノコ展示中、初めて見ます。
光るキノコ-2
何とか撮影することができました。 光るキノコです。
光るキノコ-3
光るキノコの中では世界一と言われています。
ラフレシア・アーノルディ
世界最大の花 ラフレシア・アーノルディ(実物大模型)
インドネシアの熱帯雨林に見られる世界最大の花。 葉も茎もなく、ブドウ科のツル性植物に寄生して水や養分を奪う寄生植物。 開花すると悪臭を発し、2~3日で腐ってします。 この模型は1988年11月にスマトラ島で咲いた花から型を取り、細部にいたるまで忠実に再現したもの。 手前にあるものはつぼみ。(掲示板より引用)
ゆめのへや-1
ゆめのへや-2
「ゆめのへや」 フランス生れの知育木製ブロック 「カプラ」 で遊べます。
板根-1
板根-2
屋外に展示されている板状の根、板根(ばんこん)です。
カナリーヤシ
屋外に植えられているカナリー諸島原産、「カナリーヤシ」です。
夢の島熱帯植物館
屋外から見た、ドーム型をした 「夢の島熱帯植物館」 です。 これで撮影終了。
東京スポーツ文化館-1
「夢の島熱帯植物館」 の撮影を終え、門を出るとすぐ前に立派な建物があります。
東京スポーツ文化館-2
ここが中央出入口です。
東京スポーツ文化館-3
東京スポーツ文化館-4
この建物全体、「BumB(文武)東京スポーツ文化館」です。 スポーツやカルチャー活動、短期間のステイを通して、皆さんの交流の輪を広げる場として利用されています。
新江東清掃工場
きれいな煙突は、新江東清掃工場です。 焼却能力は1,800t/日、発電出力50,000Kw、この工場の余熱が 「夢の島熱帯植物館」 の温室に供給されています。
JUGEMテーマ:写真

 夢の島熱帯植物館は、『熱帯植物と私たちの生活とのかかわり』 を広く紹介するための施設です。大温室でさまざまな熱帯植物と植物が生み出すエキゾチックな風景を楽しみ、映像ホールや情報ギャラリー、イベントホールで植物や熱帯についての知識を得るなど、知らず知らず熱帯植物と人間生活とのかかわりが学べるようになっています。(パンフレットより)  学べる楽しい施設です。 一度お出かけ下さい。(この項完)
| 東京見物ぶらり旅 | 19:01 | comments(0) | - |
このページの先頭へ