質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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熊本城とその周辺の旅 その23(完) 水前寺成趣園(4)
水前寺成趣園-1
美しい 「水前寺成趣園」 を堪能してきました。
水前寺成趣園-2
水前寺成趣園-3
水前寺成趣園-4
水前寺成趣園-5
水前寺成趣園-6
水前寺成趣園-7
水前寺成趣園-8
水前寺成趣園-9
水前寺成趣園-10
水前寺成趣園-11
どのアングルから撮影しても絵になる光景です。 日本一美しい庭園だと思います。
JUGEMテーマ:写真

 東海道五十三次を模した趣ある風情。 阿蘇の伏流、清冽な湧水。 「水前寺成趣園」は、桃山様式を代表する優美な回遊式庭園です。 園内はおよそ20分程度で回遊することができます。 緑豊かな庭園はいつまで見てても飽きません。(完)

 23回にわたり写真展示しました 「熊本城とその周辺の旅」 は今回をもって終了します。 次回より 「佐賀・有田焼の旅」 と題して写真展示しますので見て下さい。
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(2) | - |
熊本城とその周辺の旅 その22 水前寺成趣園(3)
稲荷神社-1
稲荷神社-2
稲荷神社-3
水前寺成趣園の中にあります 「稲荷神社」
能楽殿-1
能楽殿-2
出水神社創建と同時に建立された「能楽殿」。 現在のものは八代松井家奉納の舞台。 古くから熊本に受け継がれてきた本座・新座の伝統を今に伝え続けています。
古今伝授之間-1
古今伝授之間-2
古今伝授之間-3
古今伝授之間-4
「古今伝授之間」、後陽成天皇の弟君(八条宮智仁親王)に、細川藤孝(幽斎)公が 「古今和歌集」 の奥儀の伝授に使われた建物で、大正元年旧藩(京都)よりこの地に移築復元させたものです。
JUGEMテーマ:写真

 阿蘇の伏流水を利用して造り上げた池を中心に、緑豊かな庭園に仕上げてあります。 その庭園の中に 「出水神社」 「稲荷神社」 「能楽殿」 そして 「古今伝授之間」 が配され格式高い庭園になっています。
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(2) | - |
熊本城とその周辺の旅 その21 水前寺成趣園(2)
出水神社-1
水前寺成趣園の中にあります 「出水神社;いずみじんじゃ」 の鳥居
出水神社-2
鳥居をくぐると参道と本殿があります。
出水神社-3
合格祈願/病気平癒/無病息災/商売繁盛/縁結び の神様です。
出水神社-4
境内がとてもきれいで緑の多い神社です。
出水神社-5
「五葉の松」 細川忠利公御愛用の盆栽の松で樹齢350年を経過しております。
出水神社-6
「昭和天皇御手播の松」 昭和6年11月大演習行幸の砌(みぎり)。 
出水神社-7
「光復」 細川家17代護貞公筆 戦災を蒙った社殿の復元竣工を記念し昭和48年御復興記念碑として建立されました。
出水神社-8
神水「長寿の水」 「袈裟紋の水磐」 この石水磐は御祭神細川忠興公(三斎公)が大いに愛し 「袈裟」 と命名 庭砌に据えて日夕賞玩せられた貴重なものであります。 清冽な成趣園の湧水は阿蘇火山系の硬水から成り量・質・味ともに最優秀水として評価を博しております。  出水神社
水前寺成趣園
出水神社神苑 水前寺成趣園、園の中央から出水神社を撮影したものです。
JUGEMテーマ:写真

 出水神社 西南役の翌年の明治11年(1878)に焼け野原となった熊本の町の復興を図るため、細川家の歴代をお祀りし、旧藩主を崇敬する有志によって創建された。 熊本の守護神、文武の神、産業の神様として、その神徳を慕われている。
 出水神社には、肥後細川家の初代細川藤孝(幽斎)公、二代忠興(三斎)公、三代忠利公、八代重賢公の四柱を主神として、歴代藩主と二代忠興(三斎)公の正室玉姫(ガラシャ夫人)が祀られている。 (HP全国開運神社仏閣ガイドより引用)
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
熊本城とその周辺の旅 その20 水前寺成趣園(1)
水前寺成趣園-1
水前寺成趣園内にあります出水神社(いずみじんじゃ)の鳥居です。
水前寺成趣園-2
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)入口です。
水前寺成趣園-3
撮影当日は気が付きませんでしたが、後で写真を見るとこの額の書に 「護熙(もりひろ)」 とあるので 「細川護熙」 氏が書かれたものだと思います。 肥後細川家の第18代当主、第4代熊本県知事、第79代内閣総理大臣を歴任された方です。
水前寺成趣園-4
 水前寺成趣園 細川忠利は、肥後入国に従ってきた豊前羅漢寺の僧玄宅のために、寛永9年(1632)、今の成趣園に水前寺を建立しました。 その後綱利の時、寺を北隣に移し玄宅寺と呼び、その跡地に庭園を築き、お茶屋を設けました。 これが今の水前寺成趣園です。 年中絶えることのない清水の庭園は東海道五十三次をかたちどったものと言われ、桃山式回遊庭園の代表的なものです。(掲示板より)
水前寺成趣園-5
2008年10月24日に撮影したものです。
水前寺成趣園-6
水前寺成趣園-7
 細川忠利公銅像(出水神社御鎮座百年記念建立) 細川家三代忠利公は加藤家の後をうけて寛永9年12月9日に小倉より熊本に入城された細川家初代の藩主であります。 肥前有馬の乱を平定されたほか文武両道に秀れた事蹟を残されています。 特に水前寺成趣園創設者でもあります。 又剣聖宮本武蔵は英君の聞え高い忠利公の招きにより客分として熊本の地で余生を送られました。 兵法五輪の書等により肥後の武道は一層飛躍しました。・・・・・(掲示板より)
水前寺成趣園-8
緑がきれいな公園です。
水前寺成趣園-9
きれいな湧水に鯉も元気に泳いでいます。
水前寺成趣園-10
タイミングよくシラサギが池の魚をくわえた瞬間です。
水前寺成趣園-11
東海道五十三次をかたどったものと言われる桃山式回遊庭園がきれいです。
水前寺成趣園-12
九州の熊本で、筆者の住む静岡の 「富士山」 が見れるとはうれしい限りです。
水前寺成趣園-13
撮影したのが15:47、公園の芝生が西日を浴び一段と輝き、きれいな景色です。
JUGEMテーマ:写真

 通称 「水前寺公園」 と呼ばれる 「水前寺成趣園」、筆者一度小学か中学か定かではありませんが修学旅行で来たことがあります。 その時の印象は、清らかな池と緑の芝生がきれいな公園でした。 現在でもそれは何一つ変わらず日本一の湧水公園です。 是非一度来園されることお勧めします。 素晴しい公園です。

 尚、明日3/26から世界遺産・熊野古道と南紀勝浦温泉バスツアーに夫婦で参加のため、3/26〜28までブログ更新はお休みです。 後日、「熊野古道と南紀の旅」 の写真展示をしますので見て下さい。
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(1) | - |
熊本城とその周辺の旅 その19 旧細川刑部邸(2)
旧細川刑部邸-1
これから旧細川刑部邸の内部を見学します。手前の部屋が 「御広間」、十四畳の広さに一間半の定床が付いています。普段の客や親族の来客に使用しました。
旧細川刑部邸-2
春松閣(しゅんしょうかく) 「銀之間」
旧細川刑部邸-3
刑部邸は別称を春松閣ともいいますが、正式にはこの上下の建物を指します。
いわば当主の私室で、親しい人とも対面しました。 この部屋の壁が銀箔であったところから 「銀之間」 と名付けられました。 二階は実質的な私室で、書画などをたしなんだ部屋です。
旧細川刑部邸-4
別棟で書斎の付いた茶室・観川亭(かんせんてい)、三畳台目で床は半室床です。
旧細川刑部邸-5
旧細川刑部邸-6
御台所、刑部邸には、格式からも多数の使用人がおり、当主と家族のため料理や身の回りの世話をしました。 二階には、男衆女衆が起居しました。
旧細川刑部邸-7
御湯殿(おんゆどの)、当時の湯殿が復元されています。
旧細川刑部邸-8
当時の格式のある 「長持」 が展示されています。
旧細川刑部邸-9
細川家の家紋 「九曜紋」、中央に大きな星を置き、周囲に8個の小星を付したもの。
旧細川刑部邸-10
屋外に昔懐かしい 「つるべ井戸」 があります。
旧細川刑部邸-11
旧細川刑部邸を囲む立派な塀です。
JUGEMテーマ:写真

 肥後初代藩主細川忠利(ただとし)の弟が興した細川刑部家。 全国有数の上級武家屋敷としての格式をもつ建造物で、県指定の文化財。
 熊本市では、平成に2年度から 「ふるさとづくり特別対策事業」 により三の丸用地を取得し、4ヵ年をかけて移築復元したものです。 旧細川刑部邸の入口の門には 「三の丸史料公園」 の看板も掲げられています。

 −追伸−
 今日は日本にとって久々に嬉しい出来事です。 本日(3/24)米国 ロサンゼルス ドジャースタジアムで開催されたWBC決勝で宿敵韓国を5−3で下し2連覇を達成! 固唾を呑んでTV観戦しました。 9回裏に同点にされた時は韓国に流れが傾いたと悲観的になりましたが、10回表イチローの目の覚めるようなきれいな2点タイムリーヒットに思わずバンザイをしてしまいました。 原監督もインタビューの中であのヒットは生涯忘れないでしょうと言われていました。 決勝戦に相応しい素晴しいゲームでした。
 今回のWBCで 「侍ジャパン」 は、世界一と言われた 「キューバ」 を下し、野球の発祥国「アメリカ」 を下し、そして今日 オリンピックの覇者 「韓国」 に打ち勝ち優勝できたことは日本野球史に永遠に残る嬉しい出来事です。 侍ジャパンの皆さん優勝おめでとうございます。 そして感動ありがとうございました。
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(5) | - |
熊本城とその周辺の旅 その18 旧細川刑部邸(1)
旧細川刑部邸-1
旧細川刑部邸入口
旧細川刑部邸-2
 大名屋敷 旧刑部(ぎょうぶ)邸 細川(長岡)刑部家(刑部少輔家)は、肥後藩細川家三代忠利(ただとし)公の弟、刑部少輔・興孝(おきたか)公が、天保3年(1646)に2万5千石を与えられて興しました。
 本邸は城内の元加藤家の重臣 庄林隼人正の屋敷でしたが、延宝6年(1678)に子飼(熊本市東子飼町)にお茶屋をつくり、後に下屋敷としました。 刑部家は代々刑部か図書を名乗り、家禄1万石で活躍しました。 子飼屋敷(別業)は、元禄年間や宝永年間にも造作が行われ、藩主もたびたび訪れました。
 明治4年(1871)に熊本城が鎮西鎮台となり、城内の武家屋敷は一斉に城外に移りました。 時の刑部家の当主興増(おきなが)公は、同6年(1873)、城内の屋敷も子飼に移して男爵家本邸として整えました。
 旧刑部邸は建坪約300坪(990屐砲△蝓鉄砲蔵が付属した長屋門を入ると唐破風屋根の大玄関に至ります。 ついで表客間から入側造りの書院、二階建の 「春松閣;しゅんしょうかく」 とつづき、1階は 「銀之間」 と呼ばれています。 別棟は、書斎の付いた茶室 「観川亭;かんせんてい」、御宝蔵、台所があり、全国有数の大大名一門の格式ある武家屋敷の形式をもっています。
 熊本市では、平成2年度から 「ふるさとづくり特別対策事業」 によって、三の丸の用地を取得し、4ヶ年で移築復元したものです。 昭和60年に熊本県重要文化財として指定されています。 熊本市
旧細川刑部邸-3
旧細川刑部邸-4
入口を入り、きれいに整備された屋敷内を進みます。
旧細川刑部邸-5
鉄砲蔵が付属した「長屋門」を入ります。
旧細川刑部邸-6
大玄関前の庭園
旧細川刑部邸-7
唐破風屋根の大玄関、式台付きの格式ある玄関から上がり、内部を見学してきます。
JUGEMテーマ:写真

 「武」 の加藤家から 「文」 の細川家へ
 加藤清正の没後、三男忠広(ただひろ)がわずか11歳で加藤家を継ぎましたが、家臣の勢力争いがお家騒動にまで発展するなど、肥後国内は乱れる一方。 偉大すぎる親を持った子の悲劇ともいえますが、これは徳川幕府に豊臣寄りの大名を取りつぶす口実を与える結果となりました。 寛永9年(1632)ついに加藤家改易。
 将軍徳川家光は、反徳川の一大勢力である薩摩の島津氏を抑えるために、古くから将軍家と友好関係にある豊前小倉藩主の細川忠利(ただとし)を肥後藩主として熊本に配置しました。

 細川忠利(ほそかわただとし)1586〜1641 構造改革の大先達 戦国時代の悲劇の美女、細川ガラシャ(玉子)の三男で、細川家三代当主にして肥後初代藩主。 清正公の死後、忠利公が入国するまで、藩の失策などで農村は荒れきっていました。 そこで忠利公は、直ちに領民の不安解消と、藩政の建て直しに取りかかったのです。 「地検」 をやり直し不公平を是正、「手永制度」 で農村を組織化など。
 
 肥後は、かって佐々成政(さっさなりまさ)の強引な地検に反旗をひるがえした 「一揆国」。 肥後もっこす(頑固で無骨な熊本人気質)という言葉があるほど反骨精神旺盛な土地柄です。 そんな領民たちに、神と慕う清正公の後に入ってきた新参の殿様がすんなりと受け入れさせたのは、忠利公の誠実な人柄でした。

 エピソード1 清正公への礼儀 忠利公が初めて肥後入りして熊本城の天守閣に登った時、真っ先に清正公の墓がある方角に向って深々と頭を下げてあいさつし、翌日には墓参りをして礼を尽くしたといわれます。

 エピソード2 将軍や幕府からの厚い信頼 忠利公は、大名たちが不満を持っていた参勤交代の改革を幕府に提案、実現させるなど、徳川家光政権を影から支えました。 幕府は、忠利公が亡くなると、すぐに嫡子光尚の家督を認め、以後細川氏は明治2年(1869)の版籍奉還までの三百数十年にわたって肥後熊本の藩主を務めました。

 (本文は熊本市発行 「くまもと人物発見伝」 より引用させてもらいました)
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(3) | - |
熊本城とその周辺の旅 その17 加藤清正公の銅像
清正公像への石段
清正公を祀る浄池廟からさらに進むと清正公像に向かう300段の石段があります。
清正公像-1
石段を登り切ると堂々とした 「加藤清正公の銅像」 が目に飛び込んできます。
清正公像-2
銅像の台座に 「清正公大尊儀」 の文字が読めます。 尊儀とは尊(とうと)い姿の意。
清正公像-3
高さ9mの堂々とした銅像に圧倒されます。 立派な銅像に感動です。
清正公像-4
 加藤清正銅像
 中尾山(本妙寺山)の八合目、清正を葬る浄池廟(じょうちびょう)の上手に屹立する。 昭和10年(1935)は清正の没後325年忌に当ったので、本妙寺ではその記念事業として清正の銅像を製作、安置することとし、その製作を長崎出身の彫刻家北村西望(きたむらせいぼう)に依嘱した。
 同年4月、高さ約8.2mに及ぶ銅像は上熊本駅に到着し、現地まで僧達の読経に合せて信者達が紅白の綱を曳いて登り、台座に据付けられた。 浄池廟裏手から銅像までの石段も25段区切りで300段につくられた。 19年4月戦争末期の金属供出で撤去されたが、35年4月に再建され今日に至っている。   熊本市
本妙寺公園
銅像の周り一帯が 「本妙寺公園」 になっています。 右横に東屋があります。
本妙寺公園からの眺望
 中尾山(本妙寺山)の八合目にある本妙寺公園、東屋からの眺望。 眼下に熊本城天守閣を見ることができます。 天守閣の一番高いところから徒歩でこの銅像のある本妙寺公園までやってきました。 少々息が切れます。 清正公の銅像は、常に真正面の眼下に熊本城を見詰ています。 素晴しい眺めで清正公も満足されていることでしょう。
JUGEMテーマ:写真

 銅像と公園からの眺望を撮影し東屋で休憩していると、近くに住むご老人が教えて下さいました。 この公園の下にる加藤清正公のお墓 「浄池廟」 は熊本城と同じ高さに造られているとのことです。 同じ高さで浄池廟も熊本城を正面に見詰ています。
 熊本城、浄池廟そして銅像が一直線上に結ばれている感じがします。 熊本県を語るときは加藤清正公は一番最初にでてくる話題ではないでしょうか。 そんな印象を強く持った今回の旅でした。 次回は旧細川刑部邸を写真展示しますので見て下さい。
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
熊本城とその周辺の旅 その16 浄池廟
胸突雁木
本妙寺本院を過ぎると 「胸突雁木;むなつきがんぎ」 と呼ばれる176段の急勾配の石段があり、そこには信者から寄進された多数の石灯籠が並んでいます。
六喜廟碑-1
六喜廟碑-2
胸突雁木の途中に 「六喜廟碑」 が建立されています。
浄池廟-1
胸突雁木を登ったところに 「浄池廟;じょうちびょう」 の門があります。
浄池廟-2
「浄池廟」 拝殿です。「浄池廟」 はこの奥にあります。
浄池廟-3
 下の写真が拝殿の奥にある 「浄池廟」、掲示板には次のように書かれています。
 加藤清正は、天正16年(1588)肥後半国の領主として入部し、近世熊本の基礎を築き、慶長16年(1611)6月24日熊本城中でなくなった。 遺言により、熊本城に相対し且つ自身の深く帰依した日真上人隠棲の草庵に近いこの地に葬って、浄池廟と称した。 元和2年(1616)には本妙寺もまたこの廟守護のため熊本城内から移転してきた。 浄池廟は、正面に清正の木造を安置しているが、その真下に清正が葬られており、この建物全体がそのまま清正の墓である。 明治維新の廃仏毀釈の際、廟は撤去されて長岡護美筆になる墓碑が建てられたが、明治27年廟は再建され、墓碑は廟の後背に移されて今日に至っている。
浄池廟-4
荘厳な建造物です。 日蓮宗の熱心な信者であり肥後熊本藩の初代藩主だった加藤清正のお墓 「浄池廟」。 参拝してきました。
JUGEMテーマ:写真

 肥後54万石の戦国大名となった名将、加藤清正のお墓 「浄池廟」 を参拝してきました。 筆者、故郷が同じ九州の佐賀県ですが、これ程立派な加藤清正のお墓があるとは今回初めて知りました。 数々の功績、熊本県民にとっては大恩人の加藤清正を再認識させられた旅です。
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
熊本城とその周辺の旅 その15 本妙寺
本妙寺-1
「本妙寺」 参道入口にある 「仁王門」、大正時代に建設されたというこの門、コンクリート製でその巨大さに驚きます。 これをくぐると長い参道が本妙寺まで続きます。
本妙寺-2
参道側から見た 「仁王門」 です。
本妙寺-3
長い参道を散策するとやがて 「本妙寺本院」 があります。
本妙寺-4
本妙寺-5
本妙寺本院の庭園がきれいです。
本妙寺-6
本妙寺(ほんみょうじ) 天正13年(1585)加藤清正公が父清忠公の菩提寺として大阪の建立したものを、同16年肥後入国の後、熊本城内に移し、さらに慶長18年(1611)清正公逝去のあと、現在地に移建されたものです。 石段を登りつめた所に清正公がまつられている浄池廟(じょうちびょう)があり、裏山には高さ9mの清正公の銅像が建っています。 年中行事である 「頓写会(とんしゃえ)」(7月23日夜)は終夜参詣人で賑わいます。(掲示板より)
本妙寺-7
本妙寺大本堂の門、東郷元帥書の掲額 「勅願道場」
本妙寺-8
本妙寺大本堂
本妙寺-9
本妙寺大本堂 この建造物は、本妙寺一山の大本堂であり西南役で焼失し、明治17年起工・同27年落慶した。 本妙寺は、日蓮宗旧六条門流九州総本山であり、天正11年加藤清正公が父君忠清公菩提のため大阪に建立されたのに始まる。 天正16年、清正公が肥後の大守になられたのに伴い熊本城内に移された。 慶長16年、清正公が薨去(こうきょ)され、御遺言によってこの中尾山中に御廟所が造営された。 慶長19年いまだ城内にあった本妙寺が焼亡したことを機会に、この御廟所の地に移転再建されることになり元和2年、清正公第7回忌に際し落慶遷仏会が行われた。 この間慶長10年後陽成天皇勅願の綸旨を賜り、翌11年永代紫衣(しえ)を勅許された。 大本堂の門に 「勅願道場」 と東郷元帥書の掲額があるのは、これに由来する。 なお、この大本堂に向い合せのお堂は法皇閣であり釈尊を奉祀してある。(掲示板より) 
JUGEMテーマ:写真

 日本三名城の一つ熊本城の見学と撮影を終え、次の目的地、加藤家の菩提寺 「本妙寺」 へ向かいます。 この本妙寺には加藤清正公を祀る朱塗りの 「浄池廟」 と槍を手にした 「清正公」 の銅像があります。 是非撮影したい建造物です。
 熊本城の大天守から清正公の銅像まで撮影器材を担ぎ徒歩で向かいます。 少々体力が必要です。
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
熊本城とその周辺の旅 その14 熊本城(14) ライトアップされた熊本城
ライトアップされた熊本城-1
2008・10・23 20:34 撮影 「ライトアップされた熊本城大天守」
ライトアップされた熊本城-2
夜空に浮かび上がる 「熊本城大天守」 がきれいです。
ライトアップされた熊本城-3
誰もいない閉ざされた 「頬当御門」 から撮影しました。
ライトアップされた熊本城-4
ライトアップされた 「飯田丸五階櫓」 がきれいです。
ライトアップされた熊本城-5
はぜ方門付近から撮影した 「飯田丸五階櫓」 です。
JUGEMテーマ:写真

 今回の撮影で、撮りたかった一枚にライトアップされた熊本城があります。 暗闇の空に浮かび上がる大天守と飯田丸五階櫓、重厚で威厳に満ちた写真が撮れました。 素晴しく感動しました。 今回で一旦、熊本城の項を終了します。
 次回から加藤家の菩提寺で日蓮宗の名刹 「本妙寺」、清正公を祀る朱塗りの 「浄池廟」、その裏山にある槍を手にした 「清正公の銅像」、そして 「旧細川刑部邸」、「水前寺成趣園」 などの写真を順次展示しますので見て下さい。
| 熊本城とその周辺の旅 | 19:50 | comments(0) | - |
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