質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
尾張・名古屋の旅 その26 徳川園(8) 舟小屋と鯉
徳川園-1
「西湖堤;せいこてい」 を子供たちが渡ります。
徳川園-2
徳川園は紅葉の名所でもあります。
徳川園-3
紅葉が逆光を浴びてきれいでした。
徳川園-4
石段にも風情があります。
徳川園-5
きれいな庭園です。
徳川園-6
徳川園-7
人の気配を感じて鯉たちが集まってきます。
徳川園-8
「舟小屋と鯉」、絵になる風景です。
JUGEMテーマ:写真

 徳川園の名所名称、「虎仙橋」「虎の尾」「大曽根の瀧」「四睡庵」「龍仙湖」「瑞龍亭」「観仙楼」「龍門の瀧」 があります。 「徳川園の地は尾張徳川家二代光友が隠居所として営んだ地であった。 光友の諡号は瑞龍院と言う。 尾張徳川家の大曽根別邸とその地を名古屋市に寄付した第十九代義親はマレーで虎狩りを行ったのが因でなって  『虎狩りの殿様』  『虎狩りの侯爵』  と呼ばれ有名となった。 龍と虎とは古代中国より霊獣として我が国に伝えられたことは言うまでもなく、かつ徳川園に所縁深い光友・義親の二人の縁に結んで名付ける」 (徳川園リーフレットより引用)

 名古屋城→徳川美術館→蓬左文庫→徳川園、と尾張徳川家の関連した写真展示をしてきました。 見応えのあるコースです。 是非一度お出かけ下さい。 新しい発見がありますよ。 「尾張・名古屋の旅」 はまだまだ続きます。 次回より 「尾張・名古屋の旅」 後編を写真展示しますのでを見て下さい。
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:03 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その25 徳川園(7) 龍門の瀧
徳川園-1
徳川園-2
徳川園の見どころの一つ 「龍門の瀧;りゅうもんのたき」 です。
徳川園-3
流れる川は 「虎の尾」、上に架かる橋は 「虎仙橋;こせんきょう」 です。
徳川園-4
小鳥達の水飲み場になっている小さな池です。
徳川園-5
徳川園-6
園内いたる所で紅葉が楽しめます。
JUGEMテーマ:写真

 龍門の瀧、龍門瀑ともいわれ、鯉が滝を登りきって竜となったという登竜門伝説に基づく滝の一形式です。 尾張家江戸下屋敷跡地にあった滝の石を使用し、今回、徳川園に再現しました。
 寛文9年(1669) 第二代藩主光友の頃に造営が始まった尾張家江戸屋敷(戸山屋敷)では、当代随一と言われた庭園を有し、園内には 「鳴鳳渓」 と呼ばれた渓谷を構成する龍門の瀧がありました。 鳴鳳渓は、渓流の飛石の上を渡りきると急に龍門の瀧から落ちる水が増して石が水中に没するという趣向が凝らされたもので、当時園遊会に招かれた将軍や諸大名は、大変驚き、また、喜び楽しんだと言われています。
 戸山屋敷は現在の東京都新宿区の戸山町辺りで、今では面影を残す場所も数少なくなりましたが、平成10年(1998) に早稲田大学の敷地内で江戸時代の大規模な石組みが見つかりました。 早稲田大学と新宿区教育委員会による発掘調査の結果、戸山屋敷にあった龍門の瀧の遺構であることが確認されました。 発掘された石材は、伊豆石と呼ばれる安山岩で、総数約360個、総重量250t に上り、江戸城築城の余り石と推定されています。 徳川園では、早稲田大学から譲り受けたこれらの石材を滝の布落ちや護岸、河床、飛石などに用いるとともに、水量を急激に増す仕掛けを取り入れて、戸山屋敷の龍門を蘇らせました。 (徳川園リーフレットより引用)
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その24 徳川園(6) 観仙楼
徳川園-1
この散策路の先に 「西湖堤」、その先の建物が 「観仙楼」 です。
徳川園-2
園内を巡る散策路から 「観仙楼」 へ。
徳川園-3
「観仙楼」 の近くで紅葉がきれいでした。
徳川園-4
水際を渡る飛石、水面に映る 「観仙楼」 がきれいでした。
徳川園-5
徳川園-6
徳川園-7
池泉回遊式庭園が存分に楽しめる 「徳川園」 です。
JUGEMテーマ:写真
 
 「観仙楼;かんせんろう」 は龍仙湖に面した二層の建物で、眺望が素晴らしいところだそうです。 レストラン、ホール、ショップとして利用できます。 今回は時間の都合で入りませんでしたが、高い位置から龍仙湖の全景を見てみたいものです。
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その23 徳川園(5) 瑞龍亭
徳川園-1
きれいに整備された散策路が園内を一周しています。
徳川園-2
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きれいな山茶花や紅葉を撮影しながら散策路を歩きます。
徳川園-8
ここから 「瑞龍亭;ずいりゅうてい」 に向かいます。
徳川園-9
「ししおとし」 が風情のある住まいを醸し出します。
徳川園-10
落ち着いた佇まいの小さな茶室 「瑞龍亭」 です。
JUGEMテーマ:写真

 徳川家御三家筆頭である尾張藩第二代藩主光友の諡号(しごう;生前の行いを尊び死後に贈られる称号) 「瑞龍院」 から名づけられた小さな茶室で、龍仙湖の彼方に西湖堤(せいこてい)を眺望することができます。 織田有楽斎を始祖とし、かっては尾張徳川家で重用された尾州有楽流に因み、有楽好みの様式を取り入れています。(徳川園リーフレットより引用)
 
 【ミニ知識】 織田有楽斎(おだ うらくさい)
 名を織田長益(おだながます 1547―1621)といい、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。 織田信長の年の離れた実弟。 千利休に茶を学び、利休七哲の一人にも数えられる。 のちには自ら茶道有楽流を創始した。
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その22 徳川園(4) 龍仙湖
徳川園-1
徳川園の中心的存在の 「龍仙湖;りゅうせんこ」、広くて一枚の画面に収まりません。
徳川園-2
徳川園-3
四睡庵から散策路を進むと大きな池が見えてきます。 「龍仙湖」 です。
徳川園-4
優雅に泳ぐ池の鯉。
徳川園-5
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龍仙湖に架かる橋、「西湖堤;せいこてい」です。 白楽天、蘇東坡など、古くから文化人の憧れの景勝地である中国杭州の西湖の湖面を直線的に分ける堤防を縮景したもので、異国情緒を日本庭園の中に取り入れています。東京都の小石川後楽園、広島県の縮景園など、現存する大名庭園にも見られる様式です。
徳川園-7
徳川園の美しい風景です。 落ち着いた風景が撮影意欲をそそります。
JUGEMテーマ:写真

 徳川園の龍仙湖、海に見立てた水面の周りに見どころを配する池泉回遊式庭園 (ちせんかいゆうしきていえん)の中心的存在で、地下水を水源としています。 黒松を背にして浮かぶ島々、巨石に懸かるもみじ、水際を渡る飛石、突き出す砂嘴(さし;風や潮流のために海中に細長く突き出ている砂の堆積)、舟小屋のある渡し場などを巡りながら楽しむことができます。(文中の説明文は徳川園リーフレットより引用)
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その21 徳川園(3) 四睡庵
徳川園-1
徳川園内の散策路、紅葉がきれいなビューポイントです。
徳川園-2
撮影したのが昨年12月11日(木)のため、来訪者が少なく独占で撮影できました。
徳川園-3
園内休み処 「四睡庵」 です。
徳川園-4
「四睡庵」 からみた散策路の風景です。
徳川園-5
きれいに整備された散策路に竹垣、灯篭そして色鮮やかな紅葉、好きな構図です。
JUGEMテーマ:写真

 「徳川園 」の見所の一つ 「大曽根の瀧」 を撮影した後、「龍仙湖」 に向かう散策路で美しい風景に出会えました。 園内の 「四睡庵;しすいあん」 付近の紅葉です。 「四睡庵」 は梅や桃の木に囲まれた休み処で、隠れ里のような風景の中にぽつりと立っています。 四睡とは、禅の境地を示す画題の一つで、豊干、寒山、拾得の三人が虎と寄り合って眠っている情景をあらわします。(徳川園リーフレットより引用)

 本日(9/7)早朝、日本人にとってうれしいニュースが飛び込んできました。 マリナーズ・イチロー選手(35)が日本人選手初のメジャ―通算2000本安打を達成しました。 2000本安打は大リーグ史上259人目。 1402試合目での達成はアル・シモンズが1924年から34年の1390試合目で達成したのに次ぐ2番目のスピード。 なお9年目での達成は史上最速とのこと。
 また、もう一つの大記録、大リーグ初となる9年連続200安打にもあと5本と迫っています。 日本人の誇りです。 ここまで安定した成績が残せた強靭な身体と精神力、イチロー選手の研究が益々盛んになることでしょう。
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その20 徳川園(2) 大曽根の瀧
徳川園-1
徳川園-2
徳川園-3
虎仙橋(こせんきょう)から下って「虎の尾」を散策。 紅葉がきれいです。
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徳川園-5
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「虎の尾」と呼ばれる渓谷を流れる川です。
徳川園-7
「虎の尾」 の上流に 「大曽根の瀧」 があります。
徳川園-8
庭園の中に、こんなに美しい瀧が流れ落ちています。
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三脚を立ててじっくり撮影。 シャッタースピードを0.3秒にして撮影したものです。
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2008年12月11日に撮影したものです。
徳川園-11
紅葉の色がきれいで、しばらくベンチに座って観賞してきました。
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 徳川園は元禄8年(1695)尾張藩二代藩主徳川光友が隠居所として移り住んだという緑豊かな日本庭園です。 庭園景観の見所の一つに 「大曽根の瀧;おおぞねのたき) 」 があります。 虎の尾を上りきると到着する落差6mの三段の滝です。 上、中、下段の岩の組み方が異なるため、それぞれ水しぶきの表情には変化があります。 滝の背後の山は徳川園の中で最も高く、龍仙湖水面との高低差は約11mあります。 「大曽根」は、古くからこの辺りの地名でした。(徳川園リーフレットより引用)
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その19 徳川園(1) 虎の尾
徳川園-1
これより 「徳川園」 に入ります。
徳川園-2
徳川園入口を入ると直ぐに、美しい木橋を渡ります。
徳川園-3
橋の左側は、「龍門の瀧」の上流になっています。
徳川園-4
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最初の木橋を渡ってさらに進むと 「虎仙橋;こせんきょう」 です。 虎の尾に架かる檜造りの木橋で、5m下に渓流を見下ろし、左手下流に「龍仙湖」を望みます。
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虎仙橋のたもとに、きれいな山茶花が咲いています。
徳川園-8
虎仙橋から見た渓谷美、「虎の尾;とらのお」 と呼ばれています。
徳川園-9
紅葉がとてもきれいでした。 昨年の12月11日撮影したものです。
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深山幽谷(ゆうこく;山が深くて静かな谷) の山水画を思わせるような渓谷美を表現しており、初夏には新緑、秋には紅葉が美しく彩ります。 椎の樹林から流れ出した水が、もみじの木々を縫って龍仙湖へと注ぐ形状は虎の尾のようで、「虎の尾を踏んではいけない」 ことから 「川に足を踏み入れてはいけない」 ことを連想させます。
JUGEMテーマ:写真

 名古屋城本丸の東約3kmの地にある徳川園は、徳川御三家筆頭である尾張藩第二代藩主光友が、元禄8年(1695)に自らの隠居所として大曽根屋敷を造営したことを起源としています。 当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広さで、庭園内の泉水(庭園中の池)には16挺立(ていりつ;16人で漕ぐ舟)の舟を浮かべたと言われています。 光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889)から尾張徳川家の邸宅となりました。 昭和6年(1931)名古屋市は、第十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた後、改修整備を行い、翌年 「徳川園」 として一般公開しましたが、第二次世界大戦の大空襲によってほとんどの建物や樹林などが焼失してしまいました。
 戦後、現代的な都市公園として改修し、市民に利用されてきた徳川園は、平成13年(2001)から日本庭園として再整備を行い、平成16年(2004)に開園しました。
 徳川園は、矢田川の河岸段丘を生かした高低差のある地形、既存の照葉樹の森、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を劇的に展開する構成としています。(文中の説明文は徳川園リーフレットより引用)
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その18 蓬左文庫
蓬左文庫-1
徳川美術館に隣接して 「蓬左文庫;ほうさぶんこ」 があります。
蓬左文庫-2
蓬左文庫入り口です。 自由に入ることができます。
蓬左文庫-3
蓬左文庫 尾張藩初代藩主徳川義直が、父家康の蔵書  『駿河御譲本;するがおゆずりぼん』  約三千点を中心に創設した尾張藩御文庫の蔵書を受け継ぐ文庫である。 昭和十年から徳川黎明会によって東京で運営、公開されていたが、昭和二十五年、名古屋市に譲渡された。 日本や中国、朝鮮の優れた古典籍とともに古絵図なども豊富に所蔵し、現在の蔵書数は約十一万点に及んでいる。 名古屋市教育委員会
蓬左文庫-4
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蓬左文庫内部のエントランスホールです。 昭和58年まで蓬左文庫の書庫として使用していた建物(明治33年建築、昭和10年改築)。
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蓬左文庫 尾張藩初代藩主徳川義直(1600〜50・徳川家康九男)は、元和年間(1615〜24)、父家康の遺品として譲り受けた駿河御譲本3000冊を中心に 「御文庫」 を」創設した。 以来250年、義直をはじめ歴代藩主を中心とした書物の収集により、「御文庫」 は、日本・中国の古典から蘭書、地図にいたるまで多彩で優れた内容の書物を豊富に所蔵する我が国屈指の大名文庫であった。 大正初期、「御文庫」 の蔵書を含む尾張徳川家の蔵書は、「蓬左文庫」 と命名され、昭和10(1935)年には、東京目白の邸内に蓬左文庫が開館し、蔵書の公開が始まった。昭和25年からは、名古屋市に移管に伴い、大曽根御屋敷跡の現在地に移転し、新たな歴史を刻んでいる。
JUGEMテーマ:写真 

  「蓬左文庫」 は名古屋市東区徳川町1001番地、徳川美術館に隣接してあります。 恥ずかしい話ですが、筆者 「蓬左文庫」 なるものを現地にきて、初めて見聞しました。 蓬左・蓬左文庫を広辞苑で調べてみました。  熱田神宮を 「蓬菜宮」 というところから、その左、すなわち北の地。 熱田・名古屋あたりの称。
 蓬左文庫・・・尾張旧藩主徳川家の文庫。 藩祖徳川義直が家康から遺贈された駿河御譲本などの集書を中心に、藩校明倫堂の蔵書などをも併せる。 明治維新の際、一部散逸したが、現在、名古屋市立蓬左文庫として東区徳川町の旧徳川邸に存続。 と書かれています。 いろいろ勉強させてもらいました。
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その17 徳川美術館
徳川美術館-1
名古屋城の撮影を終え、次は名古屋市東区にある 「徳川園」 「徳川美術館」 「蓬左文庫」 の見学と撮影をしてきました。
徳川美術館-2
徳川園の入り口にある「黒門」。 武家屋敷を今に伝える貴重な建造物です。
徳川美術館-3
この時期、屋敷の屋根に銀杏の黄葉がきれいでした。 撮影昨年の12月11日
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徳川園と徳川美術館の案内板。
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「黒門」 を入るときれいに整備された連絡通路になっています。
徳川美術館-6
「黒門」 の正面に 「徳川美術館」 があります。
徳川美術館-7
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美術館のフロアです。
徳川美術館-9
展示室の入り口です。 撮影出来るのはここまでです。
徳川美術館-10
美術館入り口から連絡通路の全景。 左の白い建物が 「蓬左文庫」 です。
JUGEMテーマ:写真
 
 徳川美術館は侯爵徳川義親の寄付により昭和6年(1931)に創立された私立美術館で、昭和10年に開館しました。 収蔵品は徳川家康の遺品を中心に、初代義直(家康の九男)以下代々の遺愛品  「大名道具」  一万数千件を納める美術館です。 国宝 「源氏物語絵巻」 をはじめ、国宝9件、重要文化財57件などがあります。 また名古屋城二之丸御殿にあった 「猿面茶室」 や 「広間」 「鎖の間」 が復元展示されています。 昭和62年秋には開館50周年を記念して実施された増改築工事が完了し、装いも新たに充実した展示は見応えがあります。 一度は見ておきたい美術館です。
| 尾張・名古屋の旅(前編) | 19:01 | comments(0) | - |
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